弐佰参拾
朝議を終え、朱夏は汐之を伴って外交官の部屋へと赴いた。
煌姫を乗せた夏煌丸で、ともに帰還した善有を労うためである。
烏に扉を開けさせ室内に入った朱夏は、幾枚もの書状が乱雑に並べられているさまに目を剥いた。
「これは……何事だ?」
思わず呟いた朱夏に気づき、親雪が手を止めて拝礼した。善有と築岳もそれに倣い、書状の整理を手伝っていたらしい小姓が壁際に下がる。
「お見苦しいところをお見せ致しました」
眉を下げた善有が、散らばった書状をかき集めて机に放った。
「いや、構わぬが。どうした?」
室内に足を踏み入れていいものか掴めず、朱夏は扉の側に立ったままで問いかけた。
「いえ、その……親雪どのと築岳どのが帰国された後のあちらでのことを、話して聞かせていたのですが」
ぽり、と頭を掻いた善有に、親雪がくすくすと笑いを漏らす。
「大陸での日々を記録した書状を持参されたつもりが、亜伊夜の国でいただいた文の数々をお持ちになってしまわれて」
「ちっ、親雪どのっ」
顔を真っ赤にした善有を面白そうに眺めて、朱夏は床にまで散らばった書状をちらりと見やった。
垣間見える文面は外国の言葉で書かれているようだが、成る程流麗な文字は女人が書き綴ったもののようだ。
「うっ、今上さまっ。ここでは手狭でございますっ。どこか、落ち着いてお話できるお部屋へと移られた方が」
「慌てる其方など珍しいのでまだ見ていたいが」
「今上さまっ」
背の高い善有が体を縮こませて焦る様子に笑い、汐之が朱夏を促した。
「今上さま。若人をあまりからかわれるものではございませんよ。以前に薬草茶を飲んだ部屋を支度させますから、そちらで話されてはいかがか」
「湊刃の大臣……朕もまだ年若いつもりでいるのだが」
「では、純情で生真面目な外交官と言い換えてもよろしいですな」
「……汐之」
額に手を当てた朱夏に片目を瞑り、汐之が外交官たちにも声を掛けた。
「今上さまは、其方らの話を聞きたがっておいでだ。急ぎの仕事がなければ、茶の時間につき合え」
「はっ」
声を揃えて頭を下げた三名に頷き、汐之は朱夏を伴って廊下へと出た。
夏煌丸で大陸へ渡る前。外交官に任命されてすぐの頃に、朱夏が三名と茶を飲んだ帝の居室へと足を踏み入れる。
唱洪の国から渡った薬草茶を振る舞ったことを思い出し、朱夏の口元が緩んだ。
一人掛けの椅子に腰を下ろし、卓を挟んだ反対側の長椅子に三名を座らせる。汐之も一人用の椅子に腰掛けた。
「せっかく善有が戻ったのだ。西領の薬草茶を淹れさせよう」
唱洪の国や亜伊夜の国への交易品とした、四季の国の新たな特産品である。爽やかな薬草の香りと、柑橘のような甘みを感じる飲みやすさが特徴であった。
卓に置かれた茶器から立ち上る香気にしばし目を閉じ、善有がほおっと息を吐いた。
「実は、飲むのは初めてでございます」
「あちらの国では飲まなかったのか?」
「お味の説明は築岳どのが担い、私はどなたがどれだけ買いつけてくださるかを記録していただけですので」
「ならば、心ゆくまで堪能するがよい」
朱夏の言葉で、善有が嬉しそうに茶器を口に運んだ。親雪と築岳が、その様子を静かに見守る。
こくり、と喉を鳴らした善有が、ふっと微笑んだ。
「これは……素晴らしいですね」
「気に入ったのならばよかった」
「ええ。我が国自慢の特産品だなどと売り込んでおいて、私自身が味を好まないとなると、あちらの官僚の方々に叱られそうですから」
卓を茶器に置いて、悪びれずにそう告げる善有に朱夏は声を上げて笑った。
「其方は、亜伊夜の国で女人から人気があったのか?」
外交官の部屋で見た散乱した書状を思い出し、朱夏は尋ねてみた。頬に朱を走らせた善有が、ぶんぶんと音を立てて頭を振る。
「そのようなことはございません」
「だが、先ほどのあれは、恋文では?」
朱夏の問いに、善有が困ったように眉を下げて微笑んだ。
「善有?」
「何と言いますか……あちらのお国では、あれは挨拶のようなものというか」
「挨拶?」
首を傾げた朱夏に、補足するように築岳が口を開く。
「以前にも申し上げましたが。亜伊夜の国では、男女の仲のことをこう……隠したりはしないのです。少しでも魅力的だと思った相手には、女人からでも猛烈に迫るものなのです」
「それは……凄いな」
目を丸くした朱夏に、善有が話を引き取って続けた。
「しかし、私に文をくださった方々は、別に私自身を気に入ってくださったわけではございません。遥々海の向こうからやって来た文官を、ちょっとからかってやろうといった悪戯のようなものも多いのです」
「本気で善有どのの妻になりたいと迫る方もおられたではありませぬか」
「混ぜっ返すな、親雪どの」
困り果てたように眉を下げる善有に、朱夏は穏やかに声を掛けた。
「其方の目に適う女人はいなかったのか?」
「今上さままで……およしください。私は、外交官として誇りを胸に大陸へ参りました。そのような、浮ついた気持ちでは……」
「いや、よき出会いがあったのなら、それは喜ばしいことだ」
「今上さま……」
本心から言っているであろう主君に、善有は首を振ってみせた。
「私のことなど今はよいのです。それよりも、我々外交官の今後の体制について、お話したく思います」
姿勢を正した善有に頷き、朱夏もそれ以上私的な部分への追求はやめることにした。
どのような道を選ぶのか、それは善有の自由だ。




