弐拾壱
どれほど眠れない夜を過ごしても、朝は必ずやって来る。
寝台の上で寝返りを繰り返し、ようやく微睡み始めた頃に朱夏は侍女に起こされた。
「親王さま、お目覚めの刻限でございます」
静かな声は莉羅のものではなかった。うっすらと目を開け、声を掛けてきた相手の姿を確認する。
「……春香?」
「はい、春香でございます。本日より、姫さま付きの侍女としてこちらにお世話になりますので、先にご挨拶に参りました」
「何故、私の部屋に……」
まだ働かない頭で、ぼんやりと尋ねる。苦笑した気配が頭上からした。
「姫さまが、明日からは親王さまを起こすのだと張り切っておられまして。ご無礼を承知で、親王さまのお休みになる寝室のご様子を見に参りました」
「煌が……えっ!?」
一気に覚醒した朱夏は、慌てて身を起こした。寝台の縁から、煌付きの侍女春香の新緑の瞳が悪戯そうにこちらを見ていた。
額に手を当て、朱夏は軽く頭を振った。
「従妹どのに起こしてもらうなど、情けない真似は私はしないぞ?」
朱夏の言葉にくすくすと笑い、春香は手にした朱夏の着替えを差し出した。
「姫さまにもそう言えますか?」
「……」
気安い言葉を掛けるこの侍女は、煌姫が誕生するまではこの夏の宮に仕えていた。十四になる今年の新年に、朱夏の添い臥しを務めた侍女でもある。
父帝が直々に選んだ春香は、没落した旧家の出だった。柔らかな黒髪を綺麗に結い上げ、黒子のある口元を緩やかに上げている。
いずれ煌姫を伴侶として迎える息子に不手際がないよう、気立てのいい春香を送り込んだと聞かされていた。
衣を受け取り、朱夏は寝台から立ち上がった。
「お召し替えの、お手伝いを……」
「よい。私は、着替えは己でしている」
「まあ……」
形のよい唇を手で隠し、春香はころころと笑い声を上げた。久しぶりに聞くその朗らかな声が、朱夏の耳に心地よかった。
手早く着替えを済ませ、夏の宮の裏にある禁域の泉で禊を終わらせた朱夏を、烏が宮の入口で出迎えた。
「朝の内に、煌の迎えに行く」
「はい。朝摘みの百合を束にしてご用意してあります」
「春ならば、煌のための花が多くあったのだがな」
朝餉の席に向かいながら、朱夏は庭に目をやる。煌姫が生まれたのは春の盛りだった。誕生祝いに藤の花を贈ってから、毎年煌姫の生誕の宴には藤を贈り続けていた。
煌姫は花を愛でるのが好きで、会いに行く度に朱夏も様々な花を土産に持参する。全身で喜びを表す従妹が可愛らしく、朱夏の口角も自然に緩んだ。
「部屋の支度は万全か?」
椅子に座り、用意された朝餉の汁物を口に運びながら、朱夏は烏に尋ねた。
食事しながらの会話は無作法とされるが、今朝は確認すべきことが多くあるため仕方がない。
「はい。姫君のお好みに合わせて、黒檀と薄桃色の調度品を揃えてあります」
「侍女は春香しか連れて来ないと聞いている。心細くならぬように、この宮に仕える者にも再度、よく申し聞かせておくように」
薬草饅頭にかぶりつき、口内に広がる苦い香りに顔を顰めながら、朱夏は烏に指示を続ける。
「それと、煌の衣装を新たに仕立てさせよう。これまで着ていた着物は、すぐに小さくなるだろうから」
「仕立屋の手配は済んでおります」
「煌が望んだなら、桜の離宮にもすぐに連れて行けるようにしておけよ」
薬草茶を流し込み、朱夏は立ち上がった。
「……親王さま」
「何だ?」
「姫君とお食事される時は、もう少しゆっくりと、姫君の早さに合わせて差し上げてくださいよ」
「……」
手早く片づけた朝餉の膳に目をやり、朱夏は溜息を吐いた。
「わかっている。今朝は、急いでいたから仕方あるまい?」
手水の盥を差し出され、朱夏は口をゆすいだ。呆れたような烏の視線は今は無視だ。
用意された煌のための部屋を確認し、出来栄えに満足した朱夏は沓を履き替えて夏の宮を出た。
後ろを、烏と侍女長の秋穂がついて来る。
豊かな体を揺らしながら、秋穂が嬉しそうに微笑んだ。
「親王さま。此度はおめでとう存じます」
「まだ慶事ではないぞ」
「何を仰せですか。世を遍く照らす夏勢帝の第一子である親王さまの元へ、高貴なお血筋の姫君がお輿入れなさるのです。これを慶事と呼ばずして何としますか」
浮かれたような侍女長の言葉に苦笑だけを返し、朱夏は桜の離宮への足を進めた。
今日からともに暮らす従妹を、大切に慈しむことを心に誓いながら――。




