弐佰弐拾壱
櫻花楼の船が大港へ帰還したとの知らせが、執務室の朱夏の元へ届いた。
春の終わりである。唱洪の国や亜伊夜の国で買いつけた珍しい品々を乗せて、荷を運ぶ行列が都へと無事に入ったらしい。
大港からの報告書を読み終わり、朱夏は息を吐いて顔を上げた。
「此度も長い航海であったな」
「左様でございますな。およそ一年、櫻花楼の船は旅に出ておりましたからな」
「その分、多くの品を持ち帰ったことだろう」
書状を畳み、朱夏は窓から見える空に目を向けた。このところの晴れ間続きに、奥宮では春明が毎日のように内庭へ出て遊びたがっている。そろそろ、年の近い遊び相手を募るべきであろうか。
「近い内に、櫻花楼からの献上品も宮中に届くでしょう」
「そうだな。よき品があれば第二室にも贈ってやろう」
外国渡りの絹地や化粧品など、女人に好まれそうなものをいくつか舎利のために選んでもらうよう、汐之に指示を出す。
「それと、春明親王さまに、何か玩具があるとよろしいですな」
「玩具?」
首を傾げた朱夏に、輝山の大臣も頷いた。
「我が国の伝統的な玩具といえば、木製の人形や武具を模したものがありますが」
「外国との新たな交易を掲げる今上さまの御子さまです。重臣たちの家々に先駆けて、外国渡りの玩具で遊ばれるさまをお見せになられるとよい」
「ふむ」
朱夏自身は、幼い頃にあまりそういった玩具で遊んだ記憶はなかった。夏勢院の嫡出の親王として、早い内から世継ぎとしての教育が始まったためである。
春明が朱夏の後継の地位に就くかはまだわからない。早くに厳しい教育を施すよりも、舎利や和沙の愛を受けて伸び伸びと育ててやりたい気持ちもあった。
「親王さまによいと思われるものを、凛慈が持参するやもしれませぬな」
「そうだな。春明が喜ぶものがあるとよいが」
「そう言えば、夏の宮に秋穂どのが入られたとか?」
輝山の大臣の問いかけに、朱夏は厳しい表情を浮かべる。煌姫を慕い、侍女長として本宮で待機させていた秋穂が、整備した夏の宮に戻ったのはつい先日のことであった。
「煌が戻ってからでは遅いと。夏までに、宮内を己の目で確かめて、心地よい空間に整えるのだと息巻いていてな」
「……その後、第二室さまへの接触などは」
「今のところない」
朱夏の答えに安堵の息を漏らし、汐之が眉を下げた。
「侍女長どのからすれば、第二室さまも春明親王さまも、快く思われない存在でしょうからな」
「今は煌を迎えるために奔走しているからな。奥宮に注意を割く暇がないのだろう」
「そのまま、夏の宮で大人しく過ごしていてくだされば、それでよろしゅうございます」
汐之の言葉に頷き、朱夏は立ち上がった。
「昼は奥宮で過ごす。その後、烏と内庭で久々に鍛錬する」
「御意。こちらへは戻られますか」
「そう、だな……」
顎に手を当て、朱夏はしばらく考える。
特に急ぎの決裁がある時期ではなく、大船は航海に出たばかりであった。夏煌丸の帰還まではまだ時があり、朱夏が執務机に齧りついていなくてはならない理由はなかった。
「気候もよい頃合いです。第二室さまや親王さまと、少し外に出られてもよいのではありませんかな」
「外?奥宮の庭には出ているが」
「いえ。町に下りろとまでは申しませんが。いずれ春の宮を賜る親王さまに、外観だけでもお見せになられてはどうかと思いまして」
汐之の提案に朱夏は目を見開いた。煌姫が戻り宮中が落ち着くまで、春明は奥宮で過ごさせることが決まってはいる。だがそれは、奥宮以外の世界を知らずに育つことにも繋がる。
朱夏の脳裏に、遠い記憶が蘇った。実母の元で甘やかされて育った、今思えば不憫な弟。
親王としての教育が始まっていたはずなのに、いつまでも幼いままであった冬廉の姿が思い起こされた。
「……春の宮、か」
「散策がてら、お二方を伴って宮中を歩いてご覧になってはいかがですかな」
「それはよい。親王さまも普段と違う景色に、ご気分が高揚されることでしょう」
輝山の大臣も賛成したため、朱夏はその提案に乗ることとした。宮中から出るわけではないため、護衛の数は藤の離宮を訪れる際と同じ程度の人数でよい。
「そうだな。では、第二室と春明を連れて、そぞろ歩きを楽しむとしよう」
朱夏の言葉に、両大臣は深く笑みを浮かべて応えた。




