弐佰拾玖
季節は移ろい、春の花々が色鮮やかに咲き始めた。
宮中では春明親王生誕二年の宴が華やかに催され、大内殿での酒席に姿を見せた第二室の艶やかな装いに廷臣たちの酒が大いに進んだ。
櫻花楼にいた頃のような濃い化粧ではなく、舎利自身の顔立ちを活かした薄化粧が施されている。それでも念入りに、濃紺の扇で顔を隠して朱夏の隣に座る舎利に、重臣たちが相好を崩した。
昼間の宴では朱夏と舎利の間に席が設けられている春明であったが、長時間同じ場所に座り続けることはできず、立ち上がって大内殿を歩き回ろうとしては和沙に抱き留められて席に戻されていた。
そのやんちゃな様子に、重臣たちは満足げに笑みを浮かべた。思慮の足りない大人しい子どもよりも、好奇心旺盛に周囲の様子を楽しむ肝の太さがある方が、帝の御子として相応しい。どの顔にも、そのような感想が浮かんでいた。
酒を注ぎにやって来た重臣の一人が、朱夏の隣に座る舎利にねっとりとした視線を送る。
「此度は、春明親王さまの二歳のお祝い、まことにお慶び申し上げます」
「うむ」
「ありがとう存じます」
盃の酒を飲み干し、朱夏が重臣の盃に酒を注ぎ返す。ぐいっと盃を空け、赤らんだ顔の重臣が舎利に声を掛けた。
「こうして第二室さまのご尊顔を拝し、光栄でございますな。ますます麗しく、今上帝さまがお羨ましいことですぞ」
「……ありがとう存じます」
「惜しむらくは、その扇ですなぁ。このように皆が集まる場で、それはちと野暮ではございませんかな」
顔を見せろと、暗に言っているのだ。直接的な要望の言葉を放ったわけではないため、不敬と咎めることもできなかった。
「いかがですかなぁ、第二室さま。せっかくの宴の場でございますぞ。今上帝さまのご寵愛深いその麗しさを、皆にも見せてやってはどうですかなあ」
「いい加減に……」
「嬉しいお言葉、かたじけなく思いますわ。ですが、わたくしは今上さまの室。他の殿方に、おいそれと肌を見せるわけには参りませんの」
朱夏の言葉を遮って告げた舎利に、重臣が大袈裟に目を丸くしてみせた。
「それは考えすぎというものではございませんかな。何も、今上帝さまになさるように、玉の肌を見せろなどとそのような恐れ多いことは申しませんぞ」
帝の室に向かって、大層な侮辱の言葉である。宴席に集う廷臣たちに、帝の閨事を想像させるような物言いであった。
「ま。わたくしとて、そのように受け取ってはおりませんわ」
「ならば、よろしいではありませぬか。二心なく仕える我らに、それくらいの褒美があってもよろしいのでは?」
酒精で赤くなったこの男に、悪気はまったくないのである。本心から朱夏と国に仕えていると思っており、美しいと評判の舎利の顔が見てみたいだけであった。この場の皆が望んでいることを、代弁してやっているという妙な自信も窺える。
眉を下げ、首を傾げて舎利は口を開く。
「わたくしは、今上さまにお仕えし、春明親王さまをお支えする身。こうして華やかな場に参列することを本日は許されておりますが、来年ご正室さまが成人を迎えられたなら、影になって今上さまに従いたいと思っておりますの」
「それは……」
大きく目を見開いた重臣に、舎利は扇の陰からにっこりと微笑んでみせた。その色香ある仕草に、重臣の笑顔が固まる。
「ですから、あまり意地の悪いことを仰せにならないでくださいませ?わたくし、欲深いことを口にしてしまいたくなりますわ」
「しかし、勿体な……」
「めっ!」
割り込んだ幼い声に、舎利と重臣の会話に聞き耳を立てていた者たちの注意が向けられた。
「あ、え?し、親王さま?」
両腕を広げて、舎利を庇うように立ち上がった春明である。
「はは。いやいや。めっ!」
「は?あ、えぇっと……」
「めっ!はは。めんして!」
懸命に言い募る春明の声に、舎利に絡んでいた重臣以外の者たちが感心したように囁きだす。
「あれは……第二室さまをお庇いあそばしているのでは?」
「幼くとも帝の親王さまですなあ」
「何と頼もしい」
「まったく、酒の席で御子さまの御前で、第二室さまに絡むなど恥ずかしい」
聞こえてきた会話に、重臣の耳が赤くなった。うろうろと視線を彷徨わせる男の耳に、くすくすと小さな笑いが響く。
「あ、今上帝さま……」
情けなく眉を下げた重臣の盃に、朱夏は再び酒を注いでやった。そして、春明の小さな手に幼子用の器を握らせてやる。
「ちち?」
「そら、母に謝らせたいのだろう?この者が母に謝り母がそれを許したなら、其方も許してやらねばならぬ」
「ぅー」
「そして、許してやったなら、こうして器を合わせてともに中身を飲んでやるのだ」
噛んで含めるようにそう告げた朱夏の視線が、真っ赤になった重臣の顔に注がれる。
「過ちを犯した臣下を、許してやるのも帝一族の器というものだ」
にやりと笑った朱夏の言葉で、己の言動を恥じた重臣は舎利に謝罪の言葉を告げて頭を下げた。
「親王さまも、お許しくださいますか」
「…………ん」
盃を掲げられ、まだ頬を膨らませたまま春明は器に入った果実水を飲み干したのであった。




