弐佰拾伍
執務室に戻った朱夏は、親雪の訪問を知らされ長椅子に腰を下ろした。両大臣はともに己の席に着き、それぞれの書類を捌き始める。
文官に先導されて執務室へ姿を見せた親雪は、扉の側で深く頭を下げた。
「世を遍く照らす今上帝さまに、ご挨拶申し上げます」
「うむ。こちらへ、親雪」
長椅子の向かいを示した朱夏に頷き、脇に小箱を抱えた親雪が近づいてきた。小箱を卓に置き、椅子に腰を下ろす。
「それは?」
「近頃町で流行りの菓子です」
白い小箱には、蓋に雪花の透かし彫りが入っていた。
「北領の雪中果実を使った菓子です」
「ほう。民にも行き渡り始めたか」
西領の薬草茶とともに、新たな四季の国の特産品とするために改良を重ねていたものである。
「長く保たせるために、果実を北領の氷室で乾燥させて生地に練り込んであります。果実の酸味と餡の甘味が癖になると、民にも人気でございます」
「うむ」
小箱の蓋を開いた親雪が、朱夏に向けて中身がよく見えるように箱をずらした。
「次に大陸に渡る際には、こちらを唱洪の国や亜伊夜の国へ持参したいと考えております」
「うむ」
親雪の言葉に頷きながら、朱夏は小箱から菓子を一つ手に取った。
雪中果実の果肉を練り込んだ餅粉を焼き、柔らかな餡が乗せられている。白い焼き菓子に小豆の餡が乗ったさまは、目にも楽しい色彩であった。
一口で頬張り、朱夏はゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。
「これは、美味いな。烏、茶を淹れてくれ」
「御意」
ほのかな酸味と餡の甘味に、朱夏の頬が緩んだ。
「これならば、外国でも好まれるであろうな。だが、焼いた菓子はともかく、餡の方は日持ちしないのではないか?」
小豆の餡は生菓子に使われるものである。数月に及ぶ旅程で運んでは、外国に到着する頃には傷んでしまうだろう。
朱夏の疑問に首を縦に振り、親雪が小箱の内を指し示した。
「ええ。ですから外国向けにはこちらの、果実を練り込んで焼いたものと餡を生地に練り込んだものを、用意するつもりでおります」
朱夏が今口にしたものとは別の、餡を乗せていない焼き菓子が示された。
「ふむ。餡を乗せない菓子として、外国へ渡らせるのだな?」
「ええ。そして、生菓子である餡を召し上がりたい方は、四季の国へと来訪してくださるでしょう。我が国でしか食べられない菓子となれば、希少価値が上がります」
その説明に成る程と頷き、朱夏は餡を生地に練り込んで焼いたという菓子を口に運んだ。
「こちらの方が甘く感じるな。民はどちらも食べているのか?」
「いいえ。餡を乗せたこちらだけです。今上さまが召し上がったそちらは、外国に向けて開発されたものですので、まだ数を作れません」
親雪の話を聞きながら、朱夏は薬草茶で喉を潤した。
「春に戻る夏煌丸が次に出航する際に、間に合いそうで安堵致しました」
「ご苦労であったな」
朱夏の労いの言葉に微笑み、親雪は外交官の部屋へと下がっていった。
両大臣が朱夏とともに卓を囲む。親雪の持参した菓子に、それぞれ手を伸ばす。
「ほう。これほどのものを仕上げるとは、北領もやりますな」
「菓子とは本来女人が好むものですが。このほのかな甘みならば、我が国でも殿方に好まれるでしょう」
両大臣の感想に朱夏も満足げな笑みを浮かべる。
「しかし、あまり食べ過ぎては喉が渇くな」
「餡が乗っていないものは、特にそうですな」
「西領の薬草茶と相まって、よく売れるのではありませんかな」
両大臣もそれぞれ茶を飲み干し、手巾で手を拭いた。
「さて、今上さま。朝議の場で話していたことですが」
姿勢を正した輝山の大臣に、朱夏も居住まいを正す。
「煌の今後の住まいだな?」
「やはり、夏の宮に一度お入りいただくのが、最もお心が安らぐかと思われます」
「……奥宮では、第二室と衝突すると思うか?」
朱夏の言葉に輝山の大臣が重々しく頷いた。
「お顔を合わせたことのないご正室さまと、第二室さまです。それに、今は春明親王さまもおいでです。諍いの芽は、潰しておいた方がよろしゅうございます」
「それに、籠宮というのも不安が残ります。今上さまのお住まいですから警護は万全ですが、煌姫さまにとっては知らぬ場も同じ。お心安くおいでにはなれないかもしれません」
生まれた時から本宮や桜の離宮で暮らし、四歳からずっと夏の宮で育った煌姫である。籠宮に足を踏み入れたことはない。仕える者の顔も知らず、執務に忙しい朱夏が常に側にいてやれるわけでもなかった。
それならば、慣れ親しんだ夏の宮で、見知った顔の侍女たちに囲まれて過ごす方がいいだろう。
「どれだけ傷ついているかわからぬ煌が、その心が癒えるまでの間、夏の宮に入ることを許可しよう」
朱夏の決断で、帰還した煌姫の住まいは当面の間、夏の宮となることが決まったのである。
帰還の日までに、夏の宮は再び女主人を迎えるために手を入れられることとなった。




