弐佰拾肆
朝議の場で、重臣たちの議論に耳を傾けながら朱夏の口元が緩む。
先日奥宮での家族水入らずの新年の祝いに、春明が果実水を懸命に飲む姿が不意に思い出されたためである。だが、すぐに表情を引き締めた。
左右に控える両大臣は気づいたであろうが、何も言わずに議論のゆくえを見守った。
「では、次に夏煌丸が戻り再び出航する際には、我が家の息子を乗せていただけるのですなっ」
重臣の一人が、拳を握って汐之に詰め寄った。仙螺が外交を担っていた時代、何とか大陸との交流を深めて地位を上げようと目論んでいた男である。
肩を竦め、汐之は笑みを浮かべてみせた。
「夏煌丸に乗るのに、資格など要りませんからね。大港で袖の下を渡す必要もない。無論、航海の間にかかる費用は、船に乗り込む人数分だけ出してもらわねばなりませぬが」
「そのくらい、払ってみせるわっ」
「それならば結構。旅支度はご生家でなさるのでしょう?出航日に遅れないように、大港で船着き場においでになってください」
事務的な汐之の説明に、それでも重臣はほっとしたように表情を緩めた。
件の息子とは、朱夏が外交官を選出するために行った試験で、落第した者である。必ず受かると思っていた父親にとって、自慢の息子に失望した出来事であった。
他の家の者たちはそれで諦めたようだが、この重臣は違った。金を払い息子を自力で大陸へと渡らせ、実地での経験を積ませて鍛えようと考えたのである。
そういった考え方は、朱夏や両大臣の好むところでもある。
口角を上げて朱夏が口を開く。
「其方の息子が、大陸で様々なことを見聞きし、帰国した暁には朕と我が国の役に立つことを期待している」
「はっ。ありがたきお言葉!」
深く拝礼した男を、他の重臣たちが苦々しく見つめている。それでも、同じように息子を鍛えようという考えに及ばないあたり、彼らの成長はそこまでである。
こほん、と軽く咳払いをして輝山の大臣が議論を続ける。
「それでは、次の議題ですが。
夏煌丸が戻るのは春の予定です。大陸での天候が安定せず、あちらの港に長逗留をしておりました。帰還の目処がようやく立ち、秋頃戻った櫻花楼の船に、外交官よりの知らせが乗せられておりました」
顔を見合わせた重臣たちが、黙って輝山の大臣に視線を向けた。
「方々にだけお知らせ致しますが。恐らくその船で、今上さまのご正室さまがお戻りになるでしょう」
ざわり、とその場の空気が揺れた。だが、誰も口を開かず、難しい顔で輝山の大臣の言葉を待つ。
「春のお戻りということは、ご正室さまは十四をお迎えになられます。ご成婚から四年、奥宮にお入りいただくか籠宮に入られるのか、これから我ら両大臣で話し合って参りたいと思います」
おずおずと、重臣の一人が手を上げる。
「ご正室さまであられるのですから、やはり奥宮にお入りいただくのがよろしいのでは?何故、籠宮という選択肢があるのです」
「確かに。今上帝さまの室ならば、すべて奥宮にて過ごされるもの。例外は、先帝さまの第六室さまくらいでしたな」
「無論、我が国の長い歴史の中では、籠宮や離宮でお過ごしの御方もおいでだったと記録はございますが。あれは時の帝と不仲であられたり、奥宮にお入りになるにはご身分が低かったりと、理由があったはず。ご正室さまには当てはまりますまい?」
さすがに長く仕える重臣たちであった。その知識や宮中での常識については、よく把握しているものである。
それぞれの意見に頷きながら、輝山の大臣が答えた。
「方々の仰せもごもっとも。ですが、よくお考えください。ご正室さまは、国元をお離れになって長いのです」
「……」
「最後にお過ごしであられたのは、夏の宮でございました。知らぬ間にお住まいを移され、久方振りに故国の地を踏まれるご正室さまが、御心を乱されることがないよう努めねばなりません」
その説明に、重臣たちも考え込んだ。夏の宮から拐かされた時、煌姫はわずか十歳だったのだ。
「慣れ親しまれた夏の宮に、いったんお戻りいただくことも視野に入れております。何より、ご正室さまのお気持ちが穏やかに、和やかに今上さまの隣にお立ちあそばすことができるように。それが、迎える我らの務めでございますぞ」
「輝山の大臣のお話はよくわかりました。お戻りになられたご正室さまがどちらでお暮らしになるにせよ、ご成人の暁には今上帝さまとの初夜の儀を迎えていただかなければなりません」
「左様。首尾よくお世継ぎを成していただけるならば、いずれで過ごされようと些末なこと」
重臣たちの出した結論に、朱夏は内心で溜息を吐く。結局彼らは、煌姫が産む嫡出の子を待ち望んでいるということだ。
「それでは、本日の朝議はこれにて閉じさせていただきます。我ら左右の大臣の話し合いの結果は、いずれまたお知らせ致します」
輝山の大臣の言葉で、重臣たちが席を立ち始める。
その様子を上座からぼんやりと眺め、朱夏も緩慢に立ち上がった。




