弐佰拾参
新しい年が明けた――。
四季の国では、新年になると宮廷からの祝い酒が民に振る舞われるのが習わしであった。
今年は新たに、亜伊夜の国との交易品として先年より流通しだした、果実を使った酒が特別に民へと解放された。我が国で造られる酒ではないため数に限りがあり、希少性の高い酒を振る舞い酒として、民に出し惜しみしなかった朱夏帝の評判は上がる一方であった。
華やかな新年の飾りつけをした奥宮で、春明が窓から見える雪にはしゃいだ声を上げる。
濃紺の衣の下に単を数枚重ね、北領から献上された毛皮が織り込まれた布地で首を覆っていた。あまり着膨れると動きが不自由になって機嫌が悪くなるため、朝夕の冷え込む折にだけ暖かい上衣を着せるようにしているのだ。
「今上さま、新年の寿ぎ酒をどうぞ」
舎利の声に、朱夏は窓に張りついた春明から視線を外した。長椅子に座る舎利も常よりも煌びやかに装っている。濃紺の衣には金銀の糸で繊細な刺繍が施され、下に穿いた薄青の裳には近海で採れた真珠が散りばめられていた。
春明の幼さを理由に新年の宴には参列しなかった舎利だが、着飾って朱夏を迎えることは喜んでいるようであった。
長椅子に腰を下ろし、朱夏は盃を受け取る。
「新たな年に、乾杯」
ぐっと酒を飲み干し、朱夏は小さく息を吐いた。早々と宴席を抜け出してはきたが、廷臣たちは朝まで酒を飲んで過ごすことだろう。
「其方も飲むか?」
空けた盃を舎利に手渡すと、困ったように微笑む舎利の瞳とぶつかった。
「どうした?」
「いえ。春明を身籠ってから飲んでおりませんでしたから。弱くなったかもしれませんわ」
恥ずかしそうに頬を染める舎利を見つめ、朱夏も笑みを浮かべる。盃に、ゆっくりと新年の酒を注いでやった。
「酔ったなら、私が寝台へ運んでやる」
「ま。そんな恥ずかしい真似をさせないでくださいな」
薄く紅を塗った唇に、盃が運ばれた。こくり、と白い喉を鳴らして酒を飲む舎利を、朱夏はじっと見つめてしまう。子を産んでも、いまだ匂い立つような色香を持つ舎利であった。
「あー!めぇも!」
舎利に手を伸ばしかけた朱夏が、びくりと肩を震わせた。長椅子で酒を飲む両親に気づいて、春明が窓際から短い足を懸命に動かして近づいてくる。
盃を卓に置き、朱夏は両腕を広げて息子を迎え入れた。抱き上げた小さな体を、そっと膝の上に乗せる。
「ちち!めぇも!めぇも!」
「これは酒だからな。其方はまだ駄目だ」
「やっ」
朱夏の膝の上で両足をばたばたと動かす春明に、朱夏は穏やかに言い聞かせる。
「よいのか?其方には特別な果実水を用意してやったというのに」
「ひょ?」
「新年の特別な飲み物だ。父や母は飲めぬ、其方だけの特別なものを用意させたというのに。要らぬのか?」
「めぇらけ?」
先ほどまで暴れていたことなど忘れたように、春明が群青色の瞳を大きく見開いて、朱夏と舎利を交互に見る。
「そうとも。こちらの酒はな、大人になれば誰でも飲める。だが、特別な果実水は其方のためだけに用意したのだぞ」
「とく……とくべちゅ……」
「其方は桃が好きであろう?新年の祝いのために、其方の祖父上が桃で作った果実水を用意させたのだ」
「もも!」
好物を耳にし春明の瞳が期待できらきらと輝いた。
「だが、そうか。其方は酒を飲みたいのか。では、桃の果実水は父がいただいてしまおうか」
「あーっ!やっ。めぇの!」
つい意地の悪いことを口にした朱夏を、舎利が隣で笑いながら窘めた。
「今上さま。あまり言いすぎては春明がむくれてしまいますわ」
「だがなぁ。春明は、私が其方と飲んでいる酒が飲みたいようだぞ?」
「ま。春明、どうしますか?」
手を口に当てて品よく笑う母に、春明が懸命に言い募る。
「めぇ!めぇ、のむ!もも!」
「まあ。では、いただいた後で祖父上にお礼を申し上げなくてはなりませんよ」
「あぇ?」
きょとんと首を傾げた春明の頭を撫で、朱夏が控えていた浪嶺に視線を向けた。
「桃の果実水を、これへ」
「かしこまりました」
湊刃家から献上された、珍しい果実水である。色鮮やかな硝子の瓶に入った薄桃色の液体が、浪嶺の押す台車の上でとろりと揺れた。
朱夏たちの前の卓に、硝子の瓶と硝子の器がそっと置かれる。幼い手で持っても落として割れにくいように、きちんと持ち手がつけられていた。
浪嶺の手で、果実水が器に注がれた。瞳を輝かせて凝視する春明に、朱夏は卓から持ち上げた器の取っ手をそっと握らせる。
「さあ、新年の祝いだ。飲んでみよ」
しばらく器の中の水を見つめ、朱夏と舎利の顔を見た後、春明が果実水に口をつけた。
こくり、と一口飲んだ瞬間、春明の頬が薔薇色に染まる。
「おいち!」
こくこくと続けて飲む春明の姿に、朱夏と舎利は顔を見合わせて微笑んだ。




