幕間Ⅳ
久しぶりに後宮を出てきた青年に、宰相が恭しく頭を下げた。
「陛下、島国の姫の迎えの者が到着致しました」
「ようやくか。長かったな」
「遥か海の向こうの国から、ショコー国や砂漠を越えて来るのですから、仕方ないことかと」
宰相が差し出した手巾で顔を拭き、青年は政の行われる宮殿へと足を進める。向かっているのは玉座の間だ。
「ゼンアも戻ったか?」
「はい。ショコー国との交易を済ませ、姫君の迎えの侍女を連れて戻りました」
「侍女が来たのか?美人か?」
海色の瞳を輝かせた青年に、宰相が苦笑して首を振る。
「私もまだ見ておりませんが。さすがにお手をつけないでくださいよ」
宰相の小言を聞き流し、青年は上機嫌に玉座に座った。居並ぶ廷臣たちが頭を下げる。
正面の大扉が開かれ、背の高い若者が入ってきた。この国では見かけない衣と袴を纏った、遠い島国の外交官である。肌を晒していない装束がもの珍しく、彼らが来る度に廷臣たちが興味深げに話しかけていた。
顔の見える位置まで歩んできた外交官が、赤い絨毯の敷かれた床に膝をついて深く拝礼した。
「亜伊夜の国の国王陛下に、ご挨拶申し上げます」
「ゼンア!よく戻った!」
玉座から駆け下りんばかりの青年王の勢いに、外交官は深緑の瞳を丸くした。挨拶の言葉だけは淀みなく話せるようになってはいたが、それ以外の会話となるとまだまだ片言である。
「あ、ええっと……?」
「お前がおらんと、リリーナの言葉が少しもわからん!後宮には入れられんが、さっさと通訳してもらわんとな」
「陛下、落ち着かれませ」
窘めた宰相に、青年は我慢できないというように首を振った。
「わざわざ後宮から出てきてやったんだぞ。もう挨拶は受けた。政の方はお前に任せる。俺はようやく孕ませた女を愛でるのに忙しい」
青年の言葉を断片的に拾った外交官――四季の国からやって来た善有は、驚きに目を瞠った。
孕ませた、と聞こえた。目の前で宰相と言い合いをしている青年王が、後宮で誰かを身籠らせたということだ。
ごくり、と善有の喉が鳴った。いや、煌姫であるはずはない。この青年王の好みから外れた幼い姫は、無事のまま帰国させてくれる約束だ。では、噂でしか聞いたことのない妙葵の妻であろうか。
善有の内心の動揺には気づかず、青年王が立ち上がった。
ざわざわと騒がしいのは、廷臣たちも青年の発言に驚いているためだった。後宮で王の御子を身籠った侍女がいるなどと、これまで公表がなかったのである。宰相でさえ、つい先ほど聞いたばかりの新情報である。
「お前たちも、聞いたな?俺はこれから、孕ませた女を妃にせねばならん。後宮で愛でるが、異国の女でな。言葉がわからん。このゼンアに通訳をさせる」
王の言葉に、重臣たちの視線が一斉に善有に向けられた。言葉のすべてを聞き取れず、だが外交官として動揺を顔に出すまいと善有は澄ました表情を作る。
「ほら、ゼンア行くぞ!」
ぐいっと袖の上から腕を掴まれ、痛みに顔を顰めかけて善有は息を詰めた。
「陛下!」
宰相の制止の言葉を無視し、青年は善有の腕を引いたまま玉座の間を飛び出した。
背後から、宰相の声が追いかけてくる。
「後ほど、例の侍女も向かわせますぞー!」
足早に回廊を進まされながら、善有はどこに連れて行かれるのかと不安になった。
後宮に入る手前、表の宮殿と隔てる門の前で青年が立ち止まった。つき従ってきた護衛の武官たちの足も止まる。
額に浮かんだ汗を、善有は袖口で拭って息を吐いた。
「ここを入ってすぐのところにな、典医のための控室があるんだ」
「てん、い……?」
「あー、医者だ医者。お前の国では何と呼ぶんだ?まあいい」
門を開かせ青年王が善有を連れて内へ入る。ついて来た武官と入れ替わるように、門の内側にいた女性の武官らしき者たちが側に寄ってきた。
「へ、陛下っ。ここは、その後宮ではっ?」
「そうだ。奥までは入るなよ。典医の部屋までは、武官の見張りがあれば入れるからな」
門をくぐった廊下の手前で、一つの扉を青年が開いた。廊下の奥には、ぴったりと閉ざされたもう一つの門が見えている。あの先が、男子禁制の後宮だ。
「最近体調がよくないようだが、俺が抱きかかえて来ればいいだろう。リリーナを連れて来るから、ここで待て」
「……待っていればよろしいのですね」
待てという言葉を聞き取り、善有は頷いた。
「だがリリーナの顔は見せんぞ。衝立越しだ、いいな」
部屋にともに入った武官に善有との隔てのための衝立を運ばせ、青年は足早に奥へと戻っていくのだった。




