拾玖
ぱたぱたと軽い足音が響いてきた。
茶と菓子を乗せた盆を持たせた侍女を引き連れ、煌姫が真っ直ぐにこちらへ向かってくる。
「煌、行儀が悪い」
嗜める春日にふふっと笑いを漏らし、煌姫は朱夏の足元まで走ってきた。両腕を広げて見上げてくる。
従妹の求めに応じるように、朱夏は腕を伸ばして小さな体を抱き上げた。座っている長椅子の隣に、そっと下ろしてやる。
満足そうに頷いた煌姫が、侍女に指示を出す。
「ここに、焼きあんを置いてね。父上さまには、つめたいおかしよ」
焼き餡――。
卓の上に並べられていく菓子の器に、朱夏の胸が鈍く痛んだ。あの夏、この小さな菓子をともに食べて笑った少女を思い出す。
春日の前に差し出された氷菓の器に、朱夏の視線は釘づけになった。
「……桃の、氷菓」
「従兄さまは、つめたいおかしがよかったかしら?これは、父上さまにとよういさせたのだけど」
「あ、いや……」
無邪気に見上げてくる従妹に、朱夏は我に返った。慌てて、表情を取り繕う。
「焼き餡を用意してくれたのだね。ありがとう、従妹どの」
「従兄さまは、あまいものはあまりお好きではないかもしれないって、はるかは言うのよ。でも、お好きよね?」
名を呼ばれた侍女が、びくんと肩を震わせた。ちらりと視線を投げ、朱夏は首を傾げる。
「確かに普段あまり食べないが。嫌いではないよ」
「よかったわ」
娘と甥のやり取りを黙って見つめていた春日が、ふっと笑いを漏らした。
「叔父上?」
「ああ、いや。安心していたよ」
「父上さま?」
二人からの視線を受け止めて、春日は品の良い所作で匙を手にした。
氷菓を掬いとって口に運んでから、再び二人に顔を向ける。
「朱夏親王。やはり、煌を夏の宮に引き取ってほしい」
「っ!」
真正面から視線を向けられて、朱夏は戸惑った。煌姫の聞いているところで、これほどはっきりと頼まれたことはこれまでなかった。
隣に座る従妹の体が固くなるのがわかった。膝の上に乗せられた小さな手が、強く握りしめられる。
そっと従妹の手を握り、朱夏は叔父の顔を見つめた。
「叔父上、何故今、そのお話を?」
煌がいるのに、と言外に滲ませれば、春日は困ったように眉を下げた。
「今、こうして座っているだけでも、息が苦しい。本当なら、煌に弱っているところを見せたくはないのだが……」
少し言い淀み、それでも春日は話を続ける。
「これから先、私の体はますます弱っていくだろう。それは構わない。柊のもとへ逝けるのなら、悔いはないからね」
春日は正室である柊を心から愛していた。周囲から側室を勧められても、かたくなに断るほどに。
「日に日に弱る父の姿など、煌には見せたくない。其方の宮ならば、溢れる愛に包まれて煌は幸せに過ごせるだろう?」
じっと見据えられて朱夏は居心地の悪さを感じた。これは、脅されているのだろうか。
煌姫を、伴侶として愛し幸せにしなければ許さないという、無言の圧を感じる。
「床に就く前に、私を安心させてくれないか」
「……叔父上」
「兄の許可はすでに得ている」
思わず立ち上がりかけて、従妹の手を握ったままだったことを思い出して朱夏は唇を噛む。父帝への根回しが済んでいるのなら、朱夏に拒否はできない。
「父上が、お許しになっているのでしたら……承ります」
絞り出すようにそう言うと、春日の顔がぱっと明るくなった。
「そうか!無理を言ってすまない」
「いえ……」
「本日すぐにでも、連れて帰ってくれるかい?」
性急な叔父の言葉に、さすがに朱夏は首を振った。
「いえ。この宮で過ごす最後の夜を、煌に与えてやってください」
従妹に目を向けると、俯いて小さく震えていた。
「従妹どの?」
「……っ、ち、父上、さまは……わたくし、お嫌い?」
だから追い出すのかと、その小さな全身で尋ねていた。
「いいや。私は、煌をこの世の誰よりも、愛しているよ」
立ち上がって卓を回り込んできた春日が、そっと娘を抱き上げた。涙の溜まった瞳を、じっと覗き込む。
「けれど、私はいつまでも、其方とともにいてやることができない。だから、其方の大好きな従兄さまに、其方のことをお願いしているんだよ」
まだ幼い煌姫には難しい話であったろう。それでも、父の表情に嘘はないと見てとったのか、必死に春日の襟を掴みながら頷いた。
「今宵は、ともに眠ろうか。幼い頃のように、物語など聞かせてあげよう」
「……ほんと?」
「ああ。そして一緒に眠って、朝を迎えよう。明日になれば、其方の従兄さまが迎えに来てくれる」
己の胸元に縋りついてきた娘の背を、春日はあやすようにぽん、ぽん、と叩いた。




