拾捌
「従兄さまっ!」
駆けてくる小さな体を難なく抱き留める。
「そんなに慌てては転ぶぞ、従妹どの?」
「だって、はやくお会いしたかったのだもの!」
頬を桜色に上気させ、一心に己を見上げてくる従妹姫に微笑みかけ、朱夏はその小さな体を抱き上げた。
腕の中で身動ぐ従妹に、首を傾げてみせる。
「どうされた?」
「お、おろして、従兄さま……わたくし、もう子どもではなくてよ」
もじもじと、顔を真っ赤にさせてこちらを見上げる煌姫は、この春四つになったばかり。近頃大人ぶりたいようだと叔父から聞かされていたが、実際にそのさまを目にすると自然と笑みが浮かぶ。
「これは失礼をした、従妹どの。では、私はもう、このようにお抱き申し上げてはいけないのだな」
からかいたくなる気持ちを抑えてそう言ってやると、煌姫は驚いたように薄桃色の瞳を見開いた。そして、慌てたように両手を振り始める。
「そっ、そんなことはなくってよ!あ、従兄さまなら、わたくしにふれてもよいのですもの」
朱夏が笑いを堪えていると、同じように笑いを押し殺した声が掛けられた。
「煌、あまり伴侶どのを困らせてはいけないよ」
穏やかに笑う春日が歩いてくるところだった。
従妹を腕に抱えたまま、朱夏は叔父に向かって頭を下げる。
「ご無礼を致しました、叔父上。ご機嫌麗しゅう」
「よく参られた、朱夏親王。そろそろ陽射しがきつくなる季節だが、そちらは変わりないか?」
「はい。夏の宮は涼める造りをしておりますので、これからの季節でも快適に過ごせます」
そのまま歩きだそうとする朱夏の袖を、小さな手が引っ張った。腕の中に視線を落とす。
「従妹どの?」
「わたくし、歩けますわ」
つんと顔を反らし、頬を膨らませる従妹に苦笑し、朱夏は腕の中から床へと下ろしてやる。
煌姫の歩幅に合わせてゆっくりと回廊を歩きながら、朱夏は叔父を見やる。
昨年、正室である柊を疫病で亡くし、しばらくは起き上がれないほどの心の痛手を負っていた。心身ともに弱っていく弟を心配した夏勢帝は、春日と煌姫を本宮からほど近い場所に住まわせることを決めた。
煌姫が生まれてすぐに過ごしていた桜の離宮に手を入れ、父娘の住まいとしたのだ。
「本当に、兄上には世話になってばかりだ」
零された言葉に答えを返さず、朱夏は煌姫の歩く姿に視線を移した。妻を亡くしてから気弱になった叔父は、顔を合わせる度にこうして、愚痴とも言えない弱音を聞かせるようになった。
五日に一度この離宮にご機嫌伺いと称して訪ねている朱夏ではあったが、ここのところ叔父が繰り返す提案に辟易し始めていた。
「私では、お転婆になる煌の行動にもうついて行けない。早く、其方の宮に連れて行ってやってほしいのだが」
「叔父上。従妹どのは今が可愛い盛りではありませんか。離れて暮らしては、その成長を見守ることができませんよ」
後悔なさいます、と常ならば続けるはずだった。だが、今日の叔父は何か、強い決意の込もったような瞳をしていた。
「自分の体は自分でわかるからね。薬師も、この夏を越えられるかどうか、と言っていた」
「叔父上!?」
「まだ動ける内に、其方に迎えられて煌が幸せになるところを見たいと、そう思うんだよ」
「……」
桜の離宮の奥にある、春日と煌姫の居室へとたどり着く。
機嫌よさげに歩いていた煌姫が、くるりとこちらを振り返った。
「従兄さま、きょうは、わたくしのお気に入りのおかしをよういしてもらったのよ」
まだ舌足らずで、だが懸命に大人の女性のように話そうとする従妹に微笑みかける。
「それは嬉しいことだ。ありがたく、頂くことにしよう」
侍女が開けた扉から、煌姫が待ちきれないと言うように駆け出した。慌てて後を追う侍女が、嗜めるような声を掛ける。
「姫さま、そのように足音を立ててはなりません」
「だって、従兄さまにおかしを、さしあげなくちゃ!」
駆けていく従妹の背中を見送りながら、朱夏は叔父に再び目を向けた。
「それほど、お悪いようには見えませんが」
「見た目はね。だが、近頃では長く起きているのが辛い日も増えてきた」
「父上は、何も……」
ゆっくりと室内に足を踏み入れながら、春日は微笑む。
「できるだけ、内密にしたいことではあるからね。帝一族の訃報は、国が荒れる元だ」
用意された椅子に腰を下ろした叔父の向かいに、朱夏も座った。
「茶が出てくるまでしばらくかかるだろう。煌が侍女たちの邪魔をしているようだからね」
くすくす笑いながらそう言って、春日は真っ直ぐな瞳を朱夏に向けた。
「この四年、其方がどれほど必死に学び、体を鍛えていたかを見てきた」
「……」
「いずれ国を背負う者としての自覚が芽生え、よいことだと思っていたんだが。それだけではないようだ」
叔父の言葉に唇を噛み、それでも朱夏は下を向かなかった。真っ直ぐに叔父を見つめ返す。
「原動力など何でもいい。大事な娘を……煌を、きちんと託せるだけの力をつけてくれるのなら、それでよい」
静かな言葉に、朱夏は試されているような気がした。
親王として強い力を身につけるために必死だった。勉学も鍛錬も、懸命に取り組んだ。
理想の国を造るために。だが、理想とは一体何なのか、ここのところ朱夏にはよくわからなくなっていた。




