弐佰弐
表宮の執務室に戻った朱夏は、ようやく築岳からの話を聞くことにした。
長椅子に座り、唱洪渡りの薬草茶に口をつけ、向かいに腰掛けさせた築岳の顔をまじまじと見る。
がっしりとした大柄な体躯はそのままに、よく日に焼けて一層精悍な顔つきになったようである。
理知的な藍色の双眸は深い光を湛え、二年前と変わらず真っ直ぐに朱夏を見つめていた。
両大臣はそれぞれの席に控えて会話を聞く姿勢だ。
「長の旅路、ご苦労であったな」
「勿体なきお言葉です」
短く答えた築岳は、書状が収められた桐の木箱を卓の上に置いた。
「こちらは、亜伊夜の国の国王陛下より、今上さまへのご親書でございます」
紫紺の組紐で封をされた木箱に、朱夏の視線が釘づけになった。亜伊夜の国へこちらから親書を二度送ったが、直接返信が来るのは初めてのことであった。
「恐らく、妙葵どの……いえ、妙葵をこちらへ戻すという知らせと、ご正室さまの帰還について書かれているものと思われます」
「うむ」
「ご正室さまは、いまだ亜伊夜の国の後宮におられます」
築岳の言葉に、朱夏は視線を木箱から対面へと戻した。
「なに……?」
「砂漠を旅するには時期が悪かったのと、ご正室さまのお身の回りの世話をする者がおりませんでしたので。かの国の後宮に匿われている方が、安全でございました」
「そう、か」
本来ならば煌姫の世話に立ち回れたであろう春香は、四季の国へ戻ってこられない。亜伊夜の国から唱洪の国までの道中でさえ、煌姫の世話をする者がいない状態では、確かに旅などさせられなかっただろう。
「こちらから、お迎えのための侍女どのを送るとお聞きしました」
「うむ。煌の幼い頃から夏の宮で仕えていた侍女だ。湊刃の大臣の主導で船や海に慣れさせ、来月の夏煌丸の出航で大陸へ渡らせたい」
朱夏の説明に頷き、築岳が考えながら口を開く。
「先の大嵐で、夏煌丸も船体が傷んでおります。修繕に少々時がかかるので、夏煌丸の次の出航は来月には間に合わないかもしれません」
「それほど酷いか?」
目を丸くした朱夏に、築岳は眉を下げる。
「私は先に出航するはずであった大船に乗っておりましたが。船の内で立っていられないほど、大風で揺れました。船体に穴こそ空きませんでしたが、甲板の一部は床板が抜けたままで大港へ戻って参りました」
「そうか。船に乗った者は、皆無事であったか?」
朱夏がまず初めに尋ねるのが船員や乗客の安否であったことに、築岳の頬が緩んだ。
「ええ。一度船に乗り込んでいた者たちも、皆船を降りて陸地の建物へと退避致しました。夏煌丸の方も同様だと聞いております」
「それで、大嵐が収まるのを待っての出航となり、大船と夏煌丸がほぼ同時に四季の国へと戻ってきたのだな」
「はい。これならば、私も夏煌丸で戻るべきであったかと、少し悔いておりますが」
帝の名で捕縛した罪人を連行するならば、帝の名を冠した船で連れ帰った方がよかっただろう。
そう考えた築岳ではあるが、それについては何も言わずに卓の上の桐箱に視線を戻した。
「恐らく、あちらの言葉で綴られていると思いますが、私が代読致しますか?」
その言葉に虚を突かれたように目を瞠った朱夏が、木箱の組紐に手をかけた。
「成る程。親書となれば、そういうことになるのか。朕からの書状については、其方らが代読してくれたのか?」
「はい。善有どのが、あちらの陛下に直接目通りなさって、宰相どのの許しを得て代読致しました」
「では、こちらの親書は、其方に頼む。読んでくれ」
封を解いた木箱の蓋を開け、朱夏は書状を取り出した。
ふわりと花の香りが漂った。甘く、脳の奥を痺れさせるような色香を感じる香りであった。
「……随分、風流な趣味を持っているのだな?」
亜伊夜の国の王の趣味かと、朱夏は首を傾げながら書状を築岳に手渡した。受け取る築岳の口元に苦笑が浮かんでいることに気づき、朱夏は尋ねる。
「何だ?」
「あ、申し訳ありませぬ。恐らくこれは、後宮の女人に向けて恋文を書こうとなさった紙を、そのまま転用なさったのだと思います」
その言葉に目を剥き、朱夏は築岳の手にある書状をまじまじと見つめた。
「あー……それで、その、親書には何と?」
何とも言えない表情になったのは、両大臣も同じことである。
笑いを収めた築岳が、封を解いた書状を恭しく掲げ持って読み上げ始めた。




