弐佰壱
残務を両大臣に任せて処罰場を後にした朱夏は、その足で藤の離宮へ向かった。
奥宮で舎利や春明の顔を見たいとも思ったが、罪人に冷酷に罰を宣告した空気を纏ったまま、温かな空間に足を踏み入れたくはなかった。
妙葵とともに大船に乗って戻った築岳を待たせているのもわかってはいたが、一度父の顔を見て心を落ち着かせたかったのだ。
処罰場では扉外に控えていた烏が、静かについて来る。
父の居室に足を踏み入れると、舎利のお産の際には奥宮に呼びつけられていた薬師が、変わらず夏勢院の世話に当たっていた。
顔色が随分よく見える夏勢院が、朱夏も実際には初めて見る椅子に座っていた。
唱洪の国から渡ってきた技術で、座ったまま移動できるという車椅子という椅子だった。
木で造られた椅子を二つの車輪がついた台の中央に固定し、看護する者が後ろから取っ手を持って押して進むものである。荷車に使う車輪では大きすぎ、台車の車輪では小さすぎると、職人たちが日夜開発を重ねていた代物であった。
「完成していたのか。父上、乗り心地はいかがですか」
感慨深げに呟いた後、朱夏は車椅子に座る父の側へと近寄った。
「しゅ、か……よい」
まだ舌に麻痺の残る夏勢院ではあったが、調子よく言葉が出てくるようになったようだ。
薬師に目を向けた朱夏に、深い頷きが返ってくる。
「本日は、ご気分もよろしいようです。近頃は、こうして車椅子を押して、内庭の散策にも出られるようになりました」
「そうか。この季節の陽射しは強い。あまり長い時間外に出られるわけではないな?」
父の隣に椅子を運ばせ、朱夏は腰を下ろした。膝の上に置かれた父の手を、そっと上から握る。
「はい。朝夕の涼しい刻限に、少しの間庭の花々をご覧になられます」
「父上。ご気分がよろしいようで安堵致しました。暑さはきつくございませんか?」
「……ん。みず、かし……たべ」
「ああ。この季節の菓子ですね。水羊羹ですか。あれは涼しい心持ちになって、妻も好んで食べて……」
不意に言葉を切り、朱夏は口を噤んだ。水羊羹と錦玉。二年前の夏の日に、煌姫への土産として町で求めた季節の菓子であった。
眉間に皺を寄せた朱夏の手の下で、夏勢院の指先が微かに動いた。
「父上?」
「……て、る。もど……たか?」
困ったように眉を下げ、朱夏は頭を振った。
「いえ、まだです。迎えの侍女を送ろうと手配しているところです」
「げしゅ、に……ど、した?」
朱夏の手に力が込もる。そうであった。その報告のために訪れたのである。
「先ほど、表宮の処罰場で、裁きを終えました。両大臣とも協議し、都外れの罪人の墓所に生き埋めとすることに致しました」
ひゅっ、と息を呑んだのは控えていた薬師である。
人命を救うために生きる彼にとって、じわじわと命を奪うような処刑の仕方には胸が痛むことであろう。
微かに頷いた夏勢院が、震える唇を動かした。
「それ、で……よい。すき……みせる、な。そな、た……みかど、ぞ」
父の言葉に、朱夏はしっかりと頷いた。
国を治める頂に立っているのだ。罪人はきちんと裁かなければならない。温情だけでは、隙を作ることになるのだ。
「そうそう。我が子が最近、支えられながら寝台の上で座れるようになってきました」
話題を変えた朱夏の報告に、夏勢院の目尻が下がったように見えた。
「……しゅ、んめ、い……?」
「ええ。もう少し大きくなって、己の力で座れるほどになったなら、ここにもお連れしたいと思います。その際には、第二室も連れて参りますよ」
ぽん、と父の手の甲を叩いて、朱夏は立ち上がった。
荒んでいた心が、少しばかり解れたようである。
「また参ります。次は、煌の帰還についてのよい報告ができるとよいのですが」
「……むり、いたす……な」
「はい。父上も、暑い最中にご無理なさいませんよう」
薬師に後を任せ、朱夏は藤の離宮を立ち去ることとした。
母の寝室で眠る美紘の顔を眺め、控え続ける芙月に水菓子を手渡してから、表宮の執務室へと戻った。




