弐佰
時間が止まったような静寂が流れる。
絶叫したことで開き直ったのか、妙葵が抵抗の動きをやめて朱夏を仰ぎ見た。その口元には不敵な笑みが浮かんでおり、かつて真摯に仕えていた文官の姿とはかけ離れていた。
「……何、を」
「何度でも申し上げますよ、日嗣宮さま」
頑なに朱夏の呼び名を改めない妙葵に、汐之が口を開けかけたが朱夏はそれを手で制した。
「私は、春香どのを心から愛しておりました」
「……」
「貴方さまから下賜され、天にも昇る心地でおりました。出世などどうでもよかった。あの方を妻とし、幸せな家庭を築けるのだと、愚かにも夢見ておりました」
ふふっと笑いを漏らし、妙葵が遠くを見るような目で続ける。
「高貴な親王さまのお手がついた、名家のご息女。大切に大切に、慈しみお守りしようと決めておりました」
「……」
「ですが、あの方の胸の内には、深く慕っておいでの殿方がいた」
きっ、と朱夏を睨みつけ、妙葵は頬のこけた顔の中で瞳をぎらつかせた。
「それでも構いませんでした。私の妻となったのだから、心から尽くしていればいずれ私に目を向けてくださるやもしれぬ、と」
「……」
「ですが、あの方は私と閨をともにしても、乱れてくださることはありませんでした」
「……っ」
明け透けに語られた内容に、朱夏は息を呑んだ。罪人を裁くための場で、夫婦の閨事について語られるとは思いもしなかったのである。
「貴方さまとの閨は、いかがでございましたか」
「何を……」
「あの楚々とした方が、貴方さまを求めて乱れてくださいましたか?夏勢帝さまも、第六室さまとの閨では大層励んでおいでだったご様子。ご子息である貴方さまも、同じだったのでは」
朱夏の脳裏に、籠宮の洗濯女の話が思い起こされた。
夏勢院が帝であった折、琉兎と寝所をともにした際の敷布を洗う洗濯女の元で、妙葵が口にした呟き。
まさか本当に、そのような理由で大罪を犯したというのだろうか。
「私の妻であるのに、私ではない男を想う。ふふっ。私に責はないと思われませんか?」
「妙葵……?」
「それならば、私にその苦しみを与えた貴方さまに、同じ思いをしていただいて何が悪いのです?」
灰色の瞳には、涙が溜まっているようにも見えた。いや、光の加減であろうか。
目の前の男が妻を想って泣いているなどと、朱夏は認めたくなどなかった。それは、あまりに身勝手すぎる。
「同じ思いとは?」
「勿論、大切に扱ってこられた細君が、遠く手の届かない外国で他の男に抱かれる思いですよ」
「……」
「無事にお戻りになろうとなるまいと、ご正室さまのお心に他の男が棲み着けば、貴方さまも私と同じお立場となる。仙螺の親王さまの妻になどと、愚かな夢を見ていた方々にも、一泡吹かせてやれる」
煌姫を冬廉の正室にしたがっていた仙螺とは関わりなく、妙葵が独断で煌姫を連れ去ったということか。
にやり、と笑みを深くして妙葵が表情を歪めた。
「それなのに……っ。かの国の陛下は……っ」
「……」
「何故っ。煌姫さまでなく春香どのに、お手など出されたのか……!」
悲痛な声で叫ばれたが、朱夏は答えられなかった。答えたくもなかった。
武官に肩を棒で押さえられたまま、妙葵はごんっ、と床に額を打ちつける。
「何故っ、何故……っ。かの国では、春香どのは年増と言われる年齢であられたのにっ」
「……」
「重臣に取り立てられてありがたいと思え……?何を仰せなのか。私がかの国で高位に就いたのは、春香を差し出したためではないっ!」
どこまでも自分勝手な言い分に、朱夏は耳を塞ぎたくなった。
汐之の言葉も思い出された。たとえ春香を助け出せたとしても、この男の妻として戻れば裁きを受けさせなければならなくなる。このまま、亜伊夜の国で王に寵愛されている方がいいのではないか、と。
溜息を漏らし、朱夏は御座へと戻った。ゆっくりと口を開く。
「其方が煌を連れ去った手口は、仙螺の彩里に冬の宮から連れ出させたことだな?」
「……何故、春香……何故」
「仙螺に与したのは、輝山にいる時よりも外国との渡りをつけやすくなるからか?」
「私、は……春香を、愛して……」
一応の議事録として書きつけていた輝山の大臣に視線を送り、朱夏は深く息を吐き出した。
「いい加減にせよ、妙葵!」
御座からのきつい叱責の声に、妙葵の肩が震えた。のろのろと、顔を上げて朱夏を見つめる。
「其方の身勝手さに巻き込まれた春香が、不憫だとは思わぬのか?先ほどから聞いておれば、朕への不満や亜伊夜の国の王への恨み言ばかり。春香や煌に、謝ろうという気持ちはないのか」
「謝る……?」
「行ったこともない外国へと連れ去られ、見知らぬ地で言葉もわからず孤独に過ごさせ。其方のせいで、春香は四季の国に戻ることも叶わぬ」
「……」
これまでそのことに思い当たらなかったのか、妙葵の瞳が極限まで見開かれる。
「其方の自分勝手な恨み言など、もはや聞いていたくもない。沙汰を言い渡す」
「あ……日嗣宮、さま……」
「四季の国の帝一族の姫であり、帝の正室である煌を拐かすという国を揺るがす重罪を犯した妙葵。其方には、罪人が眠る墓所に生きたまま埋まってもらうのが妥当な罰だと朕は思う」
冷徹に告げられた内容に、妙葵が反論しようと口を開くがその前に朱夏が続ける。
「舌を抜き話せぬように処置した後で、墓所に首までを埋める。それならば、其方の呻き声などが聞こえた誰かが様子を見に来ることもなかろう。己が犯した罪を反省しながら、終わりの時を待つがよい」
「……っ」
がたがたと震えだした妙葵から目を逸らし、朱夏は両大臣に尋ねた。
「甘いか?」
「いえ、よろしいかと思います」
「私も賛成でございます。あとは、どう公表するかですが」
淡々と進められる会話に、すでに妙葵は入っていけはしない。その進退は決したのだ。項垂れて罰せられる時を待つしかできることはなかった。
「仙螺の残党ということにすべきか」
「そうですな。謀反の際に大陸へと逃げおおせていた最後の一人を捕らえ、裁いたことに致しましょう」
「罪状は……そうだな、父上に盛られた毒を入手した実行犯ということにしよう」
ぽん、と手を打ち、朱夏は御座から立ち上がった。
もはや、妙葵に向ける視線など持っていなかった――。




