佰玖拾捌
表宮の地下には、罪を犯した者を収容する座敷牢が存在する。
貴族が入る貴人牢とは違い、日の光の入らない薄暗い地下で、日に二度の粗末な食事を運ぶ者以外は近寄らない閉ざされた牢である。
大港から汐之によって連行された妙葵が、地下牢に入ったとの報告を、朱夏は奥宮を出たところで受けた。
昨夜の内には汐之たちが戻らず、舎利に気を遣わせるのを嫌って籠宮で休もうとした朱夏を、輝山の大臣がさっさと奥宮へと渡らせたのである。
春明の前で不安げな顔を浮かべるわけにもいかず、「あうあぅ」と声を出す息子に癒されて夜を過ごしたのであった。
朝議の場で、輝山の大臣が重臣たちに告げる。
「世を遍く照らす今上帝さまの、ご正室である煌姫さまを拐かした重罪人が、大陸より連行されました」
その場の空気がどよめきで揺れた。互いに顔を見合わせ、だが一人も口を開かなかった。
輝山の大臣が続ける。
「以前よりの通達通り、素性については方々にもお知らせ致しませぬ。これより、我ら左右の大臣が今上さまとともにどう裁くかを定めて参ります。方々には、後日結果だけをお知らせすることとなるでしょう」
おずおずと、重臣の一人が手を挙げる。
「その、重罪人の裁きはそれでよろしいとして。ご正室さまは、ご帰還されていないのですか」
その疑問には汐之が答えた。
「突然拐かされ、お世話する者もいないお暮らしをなさっていたご正室さまに、迎えの者を差し向けるべきだと判断致しました。夏の宮においでだった頃に側近くに控えていた侍女を、大船から三日遅れで戻った夏煌丸の来月の出航で大陸へと派遣致します」
ひそひそと囁き合う重臣たちに、汐之がさらに説明する。
「今上さまが夏の宮にお暮らしであった頃。ご正室さま付きであった莉羅という侍女が、夏の宮の管理をずっと担っておりました。この者ならば、ご正室さまの覚えもめでたくご信頼も厚いことから、適任と思われます」
別の重臣が発言する。
「ですが、侍女どのに大海を渡ることなどおできになるのですか。過酷な旅路と聞いております」
「無論、大陸へ渡る前に一度小さな船に乗せ、大海を渡るほどの体力胆力があるかを確かめます。ご正室さまの御前にたどり着く前に倒れられては、こちらも困りますのでね」
「それをお試しになって、侍女どのが不適任だった場合、どうなさるのです」
その問いかけに、汐之が不敵に笑ってみせる。
「その場合は、湊刃から海に慣れた者を出します」
「しかしそれでは、ご正室さまがご不安に思われるのでは」
「その者に、今上さまからの直筆の文を託し、ご正室さまのお手元にお届け致します。幼い頃よりともにお過ごしだった今上さまの手跡を、ご正室さまが見誤られることはないでしょう」
汐之の理路整然とした説明に唸り、重臣たちが口を噤んだ。
場が静まったのを見て取って、朱夏が口を開く。
「朕としては、一刻も早く我が正室を側近くに取り戻したい。そのために最適と両大臣が考え抜いた方法だ。其方らがこれ以上によき案を出せぬのならば、朕は両大臣の案を採用する」
押し黙った重臣を見渡し、朱夏は輝山の大臣に朝議の場を締めるように促した。
「これより、今上さまはご正室さまへの文を認められ、重罪人の裁きの場へ移られなければなりませぬ。常のように議論することは叶いませぬが、此度の朝議はこれにて閉じさせていただきます」
立ち上がった朱夏が、両大臣を伴って朝議の場を出ていく。
残された重臣たちは、帝の表情と態度に余裕のなさを見て取って、無言のまま視線を交わし合った。
執務室に戻った朱夏は、そのまま地下牢へ向かおうとして両大臣に止められた。
「今上さま。ただ今表宮の処罰場を整えておりますので、もうしばらくお待ちを」
「処罰場では誰に見られるかわからぬ。朕が直接、牢の妙葵に会いに行く」
「人の出入りを禁じます。処罰場の扉外にも武官を立たせ、誰も入れぬように致します」
宥める両大臣の言葉に、朱夏は口を閉ざした。窺うように二人を見やる。
「連行する罪人の顔には布を被せ、地下牢から処罰場までの間誰にも顔を見られぬようにも致します」
「重臣の方々や民にきちんと裁きの内容を公表するためにも、場はしっかり設けておかねばなりませぬ」
握りしめていた拳からようやく力を抜いた朱夏は、小さく息を吐いて長椅子に腰掛けた。
「……わかった。支度が整ったなら、呼びに来るがよい」
朱夏の言葉に安堵の息を漏らし、汐之が執務室の外に控えていた小姓に何事か指示を出す。
背凭れに体重を預けた朱夏が、天井を睨んだ。
「今上さま。今の間に、ご正室さまへのお文を書かれてはいかがですかな」
輝山の大臣の言葉に、朱夏はゆるゆると頭を振った。
「妙葵のことがはっきりするまで、平静な心持ちで文など書けぬ。夏煌丸の出航までには、書き上げる」
「……御意」
大船と夏煌丸の帰還が予定より遅れたのは、大陸で発生した大嵐のせいであった。
四季の国へ向けて出航しようとしていた折、大雨と大風で海が荒れ出航を見送っていたのである。これまで一月のずれがあった大船と夏煌丸の航海周期が、ここにきて揃うこととなったのだった。




