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四季帝(しきのみかど)、愛のゆくえ  作者: 紫月 京
六の章 新しい命

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198/299

佰玖拾参

 

 宴席を抜けた朱夏は、少し酔いの回った心地よさで奥宮を目指した。

 護衛はついて来るが、側近くには相変わらず烏だけである。

「今上さま、お足元がふらついておいでですが」

 気遣わしげな声に笑いを漏らし、朱夏は上機嫌に己の足で歩く。

「今日くらいは、酔いに任せていてもよいだろう?」

「それは……」

「明日から、また忙しくなる。子が誕生した浮ついた気持ちは、今日までとする」

 何も答えない烏をちらりと見やって、朱夏は奥宮の黒門を抜けた。烏の供はここまでである。


 舎利の居室の前で、扉を守る武官に訪れを告げ扉を開けさせた。

 ふわりと香る香の香りに混じって、乳飲み子特有の甘い匂いも漂ってきた。

 寝台に起き上がり、枕を背に当てた舎利が和沙と談笑している。

「気分はどうだ、舎利」

 春明親王は舎利の寝台の隣に用意された、赤子用の寝台で眠っていた。近寄ろうとした朱夏に、立ち上がった和沙が首を振る。

「まあまあ、今上さま。先にお湯をお使いくださいませな」

「うん?」

「お酒臭うございますよ。宴席の汚れを、親王さまに移さないでくださいまし」

 ぴしゃりと言われ、朱夏は己の姿を見下ろして苦笑した。酒と料理の匂い。確かにこのまま赤子に触れるのは、あまりよくないのだろう。

 寝台から困ったような舎利の声が掛かる。

「和沙。何もそんなに目くじら立てずとも……」

「なりません。お方さまのお体にも障ります」

 母のような祖母のような和沙にそう言い切られてしまっては、舎利にも返す言葉はない。

 諦めたように肩を竦め、朱夏は踵を返した。

「汗と汚れを流してくる。眠ければ、眠ってしまってよいから」

「はい」

 微笑んで答える舎利に頷き、朱夏は奥宮にある帝のための湯殿へと足を向けた。


 汗を流してさっぱりとした朱夏は、肌触りのよい絹の夜着を纏って舎利の私室へと戻った。

 赤子の顔を眺めていたらしい舎利が、頭を下げて礼をしようとするのを制して近づく。

「よい。楽にしていよ」

 春明の頬をそっと指先でつつき、朱夏は寝台の端に腰を下ろした。

「よく眠っておるな」

「お抱きになりませんの?」

「落としてしまいそうで怖い」

 ふふっと笑い、舎利が側に控える浪嶺に目配せを送った。

 頷いた浪嶺が、乳母に親王を抱かせ隣室へと下がっていく。夜泣きの始まった春明が側で寝ていては、舎利が休まらないだろうという和沙の指示であった。

「気分はどうだ?」

「皆によくしてもらっていますから、あたしは平気です」

 そう答えながらも眉を下げる舎利の表情に、朱夏は首を傾げた。白い頬に指を沿わせる。

「どうした?」

「いえ……」

「舎利」

 二人きりになった私室の中、静寂が場を包んだ。

 じっと群青の瞳を見つめて待っていると、ふう、と息を吐き出した舎利が口を開く。

「贅沢な悩みさ」

「贅沢?」

「あたしは、お貴族さまの暮らしってやつに慣れていないから。お腹を痛めて産んだ子が、他の……乳母から乳をもらっているのを見るのが、不思議っていうか」

 舎利の手を握り、朱夏はそのまま話を続けさせた。

「慣れなきゃいけないって、わかってるんです。それに、胸が張って痛い時には、あたしもお乳をやれるから。全然触れ合いがないってわけじゃないし」

「民の間では、子が生まれたなら母君がずっと世話をするものなのか?」

「ええ。裕福な商家とかだったなら、乳母を雇うこともあるかもしれないけど。少なくとも、あたしがこれまで生きてきた世界じゃあ、赤ん坊には母親が乳をやって育てるものだったから」

 握られた手に己の手を重ね、舎利は微笑む。

「だから。これからは、こうして二人でいる時にも、言葉遣いとかきちんとした方がいいかなって」

「何故?」

「油断したら、しゅん……親王さまの前でも、素が出てしまうかもしれない。母親がこんな蓮っ葉に喋ってちゃあ、養育によくないじゃないですか」

 我が子の呼び方を途中で改めた舎利に、朱夏は優しく答える。

「だが、春明のことを春明と呼ぶのは、構わないぞ。其方は母君なのだ」

「けど……」

「私の母上も父上も、公の場でなければ私を名で呼んでくださった。奥宮にいる間や、これから与えられる春の宮では春明と、そう呼べばよい」

 舎利の髪を撫で、朱夏は彼女の不安が少しでも取り除かれるようにと願う。

「言葉遣いについては、其方の好きにするとよい。素でいてくれれば嬉しいが、其方の立場も重くなった。己を律すると言うのならば、其方の意思を尊重しよう」

「……そんなに、甘やかしてはいけませんわ」

「先に私を甘やかしたのは、其方であろうに」

 ふふっと笑い、朱夏は舎利の体を寝台に横たえてやった。

「さあ。夜も更けてきた。そろそろ休むとよい」

「朱夏さまは、どうなさるの?」

「共寝をしてもよいのなら、其方の寝台で休みたいが」

 勿論、と朱夏は舎利の耳元で続ける。

「其方の体に障るから、触れ合ったりはせぬ。安心致せ」

「しゅ、朱夏さま……」

 真っ赤になった舎利の頬を愛おしそうに撫で、頷いてもらえたのを確かめた朱夏は寝台にともに横になった。



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