佰捌拾弐
長い話を終えた親雪が、薬草茶を飲み干した。
その音で我に返った朱夏が、ふうっと息を吐き出す。
あまりの情報に目眩がしそうであった。だが、呆けている場合ではない。
「詳細な報告、ご苦労であった」
短い労いの言葉に親雪が破顔する。しかし瞬時に表情を引きしめ、朱夏の顔を真っ直ぐに見つめた。
「善有どのが私を選んで帰国させたのは、このご報告をさせるためでもありますが」
「うん?」
「かの陛下が私にお手をつけないようにとの、ご配慮もございましたでしょう」
何でもないことのように語る親雪に、朱夏は感嘆の念を覚えた。
男に後宮に入るように言われ、嬉しいはずなどない。それを事務的に告げる親雪の外交官としての自負に、朱夏は改めて労う気持ちが浮かんでくる。
「ひとまずは、ゆるりと旅の疲れを癒すがよい」
「ありがたく存じます。夏煌丸の傷みはそれほどではございません。来月には、再び出航できるでしょう」
「うむ」
強い意志を瞳に宿して親雪が告げる。
「三度目の夏煌丸の出航に、私はまた乗りたいと思います」
「しかし……」
亜伊夜の国に再び親雪を行かせるのは、心配であった。かの国で至高の位にいる王から強引に迫られれば、親雪の意思など無視して襲われるかもしれない。
朱夏の懸念がわかったのか、親雪が微笑んでみせた。
「次は化粧品を持参致します」
「……化粧品?」
きょとんと首を傾げた朱夏に、親雪が微笑んだまま続ける。
「櫻花楼の質のいいものを用意します。泥汚れのようなくすんだ色で肌色を誤魔化し、ふくよかに見えるように装束に細工します」
その言葉に吹き出したのは汐之である。
じっとりとした視線を朱夏が向けると、笑いを堪えながら汐之が口を開いた。
「いやはや。やはり豪胆な男であるな。か弱い女に見間違えられないように、顔と体型を誤魔化すか」
「或いは、もっと幼く見える化粧を侍女どのに教えてもらってもよいかもしれません」
親雪の言葉に首を傾げたのは輝山の大臣であった。
「どういう意味か」
「亜伊夜の国の国王陛下は、どうやら幼い女人はお好みでないようです。妙齢の美女をご寝所に呼ばれるとか。ですので、化粧で幼く見せられれば、私を後宮に迎えようなどという気は起こされないかと」
「待て、幼い女は好かぬ?」
親雪の言葉を遮った朱夏に、深い頷きが返ってきた。
「亜伊夜の国では、女人は幼いほどよいとされますが。今の陛下はお好みではない。ですので」
唇を舐め、親雪がきっぱりと告げた。
「海を渡ってきた姫君は、随分幼いらしいのです。ですから、成長するまで後宮の奥深くに隠され、国王陛下のお手もついていないとか」
驚愕に目を瞠った朱夏に、親雪が安心させるような声を出す。
「確証はございませんが、それでも言わせていただきます。今上さまのご正室さまは、きっとご無事でおられます」
瞳に溜まった涙が零れないように、朱夏は唇を噛みしめて天井を仰いだ。
親雪が退出した後の執務室。
しばらく誰も言葉を口にしなかった。
亜伊夜の国での話を聞き終え、朱夏の胸に浮かんだのは僅かの安堵と疑念であった。
煌姫は穢されずに無事でいるかもしれない。
だが、そのために春香が犠牲になったのではないのか。
妙葵に利用され、王の後宮へと入れられた春香の身が案じられる。
しかし、今の朱夏には何もできなかった。
「次の船には、妙葵の捕縛のための武官を乗せましょう」
汐之の言葉に朱夏は視線を向けた。輝山の大臣も汐之を見つめる。
「先に送った親書は二通。どちらにも、煌姫さまをお返しくださるようにとは書いてありますが」
妙葵を匿うのかと強気に書いたもの。
煌姫を返してくれれば、今後の交易でよい品を融通すると情に訴えたもの。
どちらも大船に乗って外交官たちの手元へと送り込まれたはずだった。
「先ほどの親雪の話からすると。かの国の王は、どうやらあまり政に熱心ではないらしい」
「後宮で励めと、宰相から言われるくらいだからな」
「であるならば。四季の国にとって重罪人である妙葵をいつまでも、己の宮廷に置いておきたくないのではないですかな」
汐之の考察に朱夏と輝山の大臣は考え込む。
これから交易を行おうという相手国で、重大な罪を犯した者として手配されている人間を、高官として取り立てているのは都合が悪い。
政に熱心ではないならば、面倒事は嫌うかもしれない。
「楽天的な考えかもしれぬが、僅かでも可能性があるのならば賭ける意味はあるな」
朱夏は頷き、執務机で文面を考えるために長椅子から立ち上がった。




