佰捌拾
月が変わった夏の最中――。
二度目の航海に出ていた夏煌丸が大港へ帰還した。
外交官の一人、秀聯の親雪を乗せて。
朝議の場で帝に対し堂々と帰還の挨拶を終えた親雪が、汐之に伴われて執務室へと入ってきた。
疲れの滲む顔色ではあったが、直接話を聞きたい朱夏が呼び寄せたのである。休ませてやりたい気持ちも強いが、親雪自身が朱夏への報告を優先させた。
執務室の長椅子に親雪を座らせ、卓を挟んで反対側に朱夏が腰を下ろす。
扉はきっちりと閉じられ烏が立っている。両大臣はそれぞれの執務机から話を聞くつもりのようだ。
「よく無事に戻った。長の旅路、ご苦労であった」
「ありがたきお言葉、かたじけなく存じます」
「其方らからの文を読んではいたが。やはりこうして直に話せるのは助かるな」
姿勢を正した親雪が、口を開いた。
「早速ですが、まずは首尾よく亜伊夜の国へと到着したこと、ご報告申し上げます」
「うむ」
「唱洪の国の官僚の一人に、亜伊夜の国との交渉事を任されている方がおりまして。私どもはその御方と、酒宴の席で交流致しました」
きちんと初めから順序立てて話そうと、親雪の朱色の瞳がくるくると動いている。
「築岳どのを大層気に入られまして。かの御方は、唱洪の国の名門の出自ではなく、民から成り上がった御方でございました」
同じく民出身の築岳と、酒宴の席で話が弾んだそうである。
「我らの目的地が亜伊夜の国であることを知り、それならば次の旅をともにしようとお誘いいただきました」
「それは重畳であったな」
「はい。亜伊夜の国までは、唱洪の国から一月ほどかかります。私どもには今上さまが持たせてくださった旅支度と土産の品々がございましたから、すぐに出立することができました」
唱洪の国で砂漠を越えるための支度にかかった費用は、四季の国から持たされていた金子で賄えたらしい。
「興味深い旅路でございましたが、こちらのお話はまた書にして詳しくお伝え致します」
「うむ」
「熱砂の地域を越えた先にある亜伊夜の国は……築岳どのから聞いていた通りの奔放な国でございました」
思わず、朱夏は身を乗り出した。
唇を舐め、ごくりと唾を飲み込む。
膝の上で握りしめた拳が震える。
「町を行く人々は、薄布一枚を纏っただけの姿で肌を晒しておりました。男女問わずそのような姿で歩いておりましたので、目のやり場に大層困りました」
「……そうか」
「唱洪の国の官僚どのがご一緒してくださったお陰で、それほど困難なく王宮への立ち入りを許されたのは僥倖でございました」
確かに親雪たちだけでは、王宮に入る門前で止められた可能性もあった。
頷く朱夏に親雪が続ける。
「亜伊夜の国の宰相どのに目通りが叶い、後宮に籠っておられる国王陛下への謁見を待つこととなりました」
「後宮……奥宮か?」
「はい。亜伊夜の国では、王族のご側室たちが暮らす場所を後宮と呼んでおりました」
烏が淹れた薬草茶で唇を湿らせ、親雪は言葉を重ねた。
「譜代の重臣方も、新興の実力者も、どちらも揃った宮廷でございました」
「新興……そうか」
朱夏の脳裏に浮かんだのは、やはり妙葵の姿であった。彼の屋敷で見つけた、外国との密書が思い出される。
亜伊夜の国で高い位に就くために、煌姫を連れ去ったのならば、親雪たちと顔を合わせたのだろうか。
「それで、国王陛下にお会いできたのですが、その……」
突然言い淀んだ親雪に、朱夏は首を傾げる。
「どうした?」
「えぇっと……その」
頬を赤らめた親雪の表情に、朱夏はますます首をひねった。
「親雪?」
「う、薄布一枚を腰に巻きつけただけのお姿で、あの……私に、男でもよいから後宮に入らぬかと言われ……」
「はっ?」
目を剥いたのは朱夏だけではなかった。静かに話を聞いていた両大臣も、烏でさえ目を丸くした。
「どういう、意味か?」
「かの国の王は女人好きで、後宮にいる女たちはすべてにお手をつけるほどの艶福家であられるそうなのですが。私の顔を見て、その……男でもよいと言い出されて」
小柄で肌の白い親雪は、一見すると女性に見えることもある。四季の国の者は大陸で若く見られるらしい話も聞いたことがあった。だが、それにしても、王の後宮に外交官を囲おうとは。
呆れた表情になった朱夏に、親雪が頭を振って視線を上げた。
「いえ、その話はどうでもよいのでした。善有どのが丁寧に断ってくださいましたから」
「善有が?」
「我が国では、同性同士で婚姻する風習はないのだと」
「亜伊夜の国には、そのような風習があるのか?」
尋ねた朱夏に親雪が眉を下げた。
「亜伊夜の国にも、ないはずなのですが。子を孕ませるためだけでない者を、側に置いてもよかろうと控えていた宰相どのに仰せになって……」
「う、む……」
「そこで宰相どのと言い合いになられたのですが」
ふ、と息を吐いて親雪が朱夏の顔を真っ直ぐに見つめた。
「海を渡ってきた姫にもお手をつけず、男に余所見している場合ではない、と」
「っ!」
「王の血筋を絶やさぬよう、後宮で励めと宰相どのに言われて黙っておしまいになりました」
執務室を、重たい沈黙が満たした。




