佰漆拾玖
烏が鍛えた朱夏の隠密たちが、奥宮の入口に密かに配置された。
一名だけいる女性の隠密が奥宮の内に入ることを許され、輝山家からも女性の武官が呼び寄せられた。
第二室の私室を囲うように配置され、奥宮への人の出入りが常以上に厳重に管理される。
重臣の息のかかった侍女は、現在ただ一人。この侍女が、重臣の家へ奥宮の変容の報せを出せぬように、病に伏せっていることにさせた。
大港から戻った汐之とともに、輝山の大臣が考えた第二室の警護体制であった。
「しかし、入内して一年経たぬ内にご懐妊とは、本来ならめでたいことですがな」
「内々に、我らだけで祝いの品を贈るべきであるか」
帝不在の執務室で交わされる両大臣の会話に、聞き耳を立てる者はいない。烏は隠密たちと奥宮の黒門に詰め、異変があれば即座に両大臣に知らせることになっていた。
「宮中のどこに重臣方の目があるかわかりませんからな。祝いは公表してからに致しましょう」
筆を置き汐之が視線を上げる。
「外交官たちの文は先ほど奥宮へ届けました」
「どうやら首尾よく亜伊夜の国へもたどり着けたようで、安堵致したな」
「ええ。来月夏煌丸の帰還に、誰か一人でも戻るとよいのですが」
善有たち三名は、唱洪の国の外交官の案内で無事に亜伊夜の国へと到着したらしい。
王政を摂るかの国で、妙葵や煌姫を見つけられるか、両大臣の意識はそこに向けられていた。
「夏煌丸の最初の出航からも、じきに一年が経つ。こうして国元で頼りを待つだけというのは、何とも心許ない」
「ですが、我らが大陸に渡るわけにも参りませんからな」
帝の決裁が必要な書類を仕分けながら汐之が答える。
「長期戦を覚悟してはいたが……早くご正室さまの無事なお姿を見たいものだ」
「まことに」
書類の仕分けを済ませ、汐之は再び筆を手に取った。
「西領へ薬草茶の品質改善の指示。北領の冬の果実を使った菓子の開発。それと真珠の確保ですな」
「新たな薬草酒の出来がよければ、来月出航する大船に乗せてもよいが」
「いえ。せっかくですから、帰還した夏煌丸が次に出航する際に乗せましょう。今上さまの御名で交易品にする方がよろしい」
大船も夏煌丸も、大港に帰還した翌月に次の船が出るという周期である。大船は二隻が交互に出航するが、夏煌丸は一隻しかない。船の傷みが酷ければ、修繕に再び時がかかる。
「今上さまの御子がお生まれになる頃には、吉報があるとよいのですが」
「春の始め頃が産み月であったか。ご体調が安定なさったならば、公表するか」
「そうですね。いつまでも秘しておいても、重臣方がまたうるさい」
皮肉に笑いながらの汐之の言葉に、輝山の大臣も頷く。
「奥宮の警護は輝山の者で固めたが。湊刃からも信頼できる者を出せるか?」
「また重臣方に突かれるのでは?」
「其方にとっては初孫だ。心配して人を送り込むことは不自然ではあるまい」
新たに上質の紙を手にし、汐之が筆を進める。
「では、浪嶺の母でも呼び寄せますか」
「其方の乳母であったな?」
「ええ。今は大港に家を構えて悠々と過ごしておりますが。やはり経験豊富な年嵩の者も、第二室さまのお側に控えていた方がいいでしょう」
浪嶺の母を呼ぶための書状を、汐之が書き始めた。
「封鎖した夏の宮の管理のために残っている、秋穂どのを奥宮に配置するのもよいと思ったが」
難しい表情で腕を組んだ輝山の大臣に、汐之が苦笑を浮かべる。
「今上さまの乳母を務めた方ですな。しかし、ご正室さまを慕っておいでだったと聞きました。第二室さまの側近くでお世話してもらうのは、少々不安がございます」
「そこよな。子を産んだことのある、頼りがいのある女人なのだが」
書を書き終え、墨が乾くのを待つ間に汐之が次の紙を取り出す。
「奥宮に残る重臣の家の侍女はいかが致しましょうか」
「病ということにして私室に軟禁してあるが……騒ぎ出すであろうかな」
「さて。私もその侍女と顔を合わせておりませんのでね。ただ、浪嶺の報告によれば、何というか……毒にも薬にもならぬ女、と」
先に書いた浪嶺の母への書に封をし、汐之が筆を置いた。
「今上さまと第二室さまに害をなさぬのならば、今しばらく放っておくか」
「不審な動きを見せた際に、すぐさま捕らえればよろしいでしょう」
頷き合い、両大臣は忙しなく残りの書類に目を通し始めた。




