佰漆拾肆
執務机に向かって、朱夏が筆を走らせる。
汐之から提案された二通の親書を書くためであった。
「善有たちに持たせた手土産は、喜ばれたであろうかな」
唱洪の国の皇帝と官僚たち、そして亜伊夜の国までも届けられるだけの様々な品を持たせていた。
「我が国の特産といえば、やはり繊細な絹地ですからね。これまで交流のあった唱洪の国はともかく、国交のない亜伊夜の国では珍しがられるでしょう」
「あちらのお国は、女人たちも肌を晒しているとのことですからな。装束として仕立てはしないでしょうが。それでも肌を覆うものには使えます」
決裁の書類に署名しながら、両大臣が会話を続ける。
「それに、唱洪の皇帝と他国の王にだけ渡す真珠ですかな」
「海に囲まれた我が国の、貴重な特産です。腕のいい職人に加工させる前の、質のよい真珠を重臣たちにも秘して持たせたでしょう?」
「あの美しさなら、他国にとっても十分魅力的な品であろう」
両大臣の言葉に頷き、朱夏は筆を置いた。
「今上さま?」
「うむ……書きあぐねている。だが、夏煌丸を出航させるためにも、早く書き上げたいな」
「どこで迷っておられます?」
汐之に問われ、朱夏は顔を上げた。
「どのような王かわからぬからな。情に訴える方はともかくとして、強気な姿勢の文面というものが、なかなか思いつかぬ」
「……凛慈をお召しになりますか」
その言葉に目を剥いたのは朱夏だけではなかった。輝山の大臣も、驚いたように目を見開いている。
「湊刃の大臣?」
「あの男が四季の国の出自ではないのは、肌の色からお気づきでしょう?」
浅黒い肌に真っ白な長髪、この国では見かけない金色の瞳。
凛慈の姿を思い起こした朱夏は頷いた。
「はっきり尋ねたことはないが」
「亜伊夜の国にほど近い、小国の生まれだそうですよ」
がたん、と朱夏は音を立てて立ち上がった。これまで、凛慈は一言もそんなことを話してはいなかった。
いや、凛慈に話す義務はない。朱夏が知らなかったからといって、凛慈を責める権利は朱夏にはなかった。
「随分以前にちらっと聞いただけなのですがね。国元で騒乱があり、逃れるために幼い頃我が国に渡ってきたようですよ」
「騒乱……」
「食うにも困っていたところを櫻花楼に拾われ、下働きから始めて今では押しも押されもせぬ楼主になったのですから、根性の据わった男です」
汐之の説明に、朱夏はぐっと拳を握った。
「朕が、亜伊夜の国との国交を望んでいると知っても、明かさなかった凛慈に無理強いはしたくない」
椅子に座り直して呟く朱夏に、汐之が首を振る。
「今上さま。貴方さまはこの国の帝なのです。凛慈も四季の国に暮らす民である以上、貴方さまの命には従わなくてはならない」
ゆるゆると首を振り、朱夏は力なく口を開く。
「先の櫻花楼の船にも、善有たちへの書を乗せてもらった。これ以上の助力を望むのは、欲深いというものだ」
それに、と朱夏は胸の内でつけ加える。
舎利を側室として差し出してくれたことにも、朱夏は深く感謝しているのだ。公に取り立ててやることができないのが、もどかしくて仕方がなかった。
「……朕の力で、親書を書ききり亜伊夜の王の心を掴んでみせる」
再び筆を手にし、眉間に皺を寄せながら墨をつける朱夏を、両大臣は何も言わずに見つめ続けた。
重臣たちの集う朝議の場で、朱夏が帰還した夏煌丸が齎した報せを告げた。
「朕が任命した外交官の三名が、首尾よく唱洪の国へ渡り密な交易を続ける確約を取った」
ざわり、と重臣たちがどよめく。年若い三名を侮る者ばかりであったろう。
「さらには周辺の国々へと進み、我が国との国交の樹立のために働いている」
「今上帝さま、周辺の国々とは、いずれの国ですか」
「唱洪の国から砂漠という地域を進んださらに先の、亜伊夜の国や近辺の小国だ」
「小国風情と国交を行ったとして、今上帝さまが仰せの我が国の益に繋がりますかな」
その言葉に片眉を上げ、朱夏は発言した重臣を軽く睨む。
「では、其方ならいずれの国とやり取りができると思うのか」
「それは……」
「これまで我が国に流通していなかった珍品を、夏煌丸に乗せて持ち帰った。其方らと検分するつもりであったが、不要ということだな」
唱洪の国から新たに持ち帰った品々の目録を掲げ、朱夏は重臣たちの顔を見渡した。
「では、輝山家と湊刃家で分けるとしよう。いずれ櫻花楼の船が戻れば、そちらにももの珍しい品々が乗ってくるだろうが、それは民の間で流通させてくれるであろうからな」
「お、お待ちを!我ら貴族家よりも先に民が珍しき品を手にするなど、あってはなりません!」
「左様!旧家名家の者が流行の先駆けとなるべきでございます」
「……それと、亜伊夜の国と国交が成った暁には、我が国から他にも名産品を贈るつもりでおる」
重臣たちの身勝手な言葉を聞き流し、朱夏は淡々と告げた。
「北領で取れる雪中で育つ果実を使った菓子でもよい。西領の薬草酒もよいな。いずれも新たな品の開発を進めさせているところだ」
「何を……北領はともかく西領とは……あそこは、仙螺の……」
仙螺家が取り潰しとなった際、西領は帝の直轄となっていた。豊富な土壌で育つ薬草から造られる薬草酒は、国中で愛飲されている。仙螺が独占していた利益が、朱夏の手元に入ることになったわけである。
「仙螺の代わりに任せられる家が、今のところないのでな。朕が直接、管理しておることは知っておろう」
朱夏の冷たい声に、重臣たちが項垂れる。不満げに朱夏を見つめる者もいた。何故、我が家に任せてもらえないのか、と。
娘を奥宮の侍女に差し込むような姑息な真似しかできない当主に、新時代を担う大仕事を任せられるはずはなかった。




