佰漆拾壱
大陸へ渡っていた夏煌丸が大港へと戻ってきた。
櫻花楼の船の竣工も近々だと報告が上がっている。夏煌丸の航海時期には遅れるであろうが、長期間の旅を見据えての支度が進んでいるようだった。
汐之を供に大港へと赴いた朱夏は、帰還した夏煌丸に外交官たちが乗っていなかったことに首を傾げる。
「善有たちはどうした?」
「さて。報告書は携えているでしょうから、海護隊の小隊長を呼びましょうか」
屋根を張っただけの天幕で日差しを避けながら、朱夏は差し出された杯の水に口をつけた。
船を降り、それぞれの方向へと散っていく船乗りや商人たちをかき分け、朱夏にも見覚えのある海護隊の者たちがこちらへと駆けてきた。
椅子に座りじっと待つ朱夏の目前まで、よく日に焼けた大柄な男たちが近寄り膝をつく。
「無事の帰還、喜ばしい。航海の間、問題はなかったか」
朱夏の問いに、直答を許された小隊長が頭を垂れる。
「はっ。航海の途上、海賊に出くわすこともなく、大陸へと外交官の方々を送り届けることができました」
「長の船旅、ご苦労であった」
汐之も労いの言葉を掛け、小隊長の報告を待つ姿勢をとった。
「こちらが、外交官の方々よりの今上帝さまへの書状でございます」
木箱に入って組紐で封をされたものを、小隊長が恭しく汐之に差し出した。
受け取って封を解き、中を検めた汐之が頷いて朱夏に書状を手渡す。
「外交官の三名は、ともに戻らなかったのだな」
朱夏に尋ねられた小隊長が、小さく頷いた。
「詳しくはそちらの書状に認められているでしょうが。方々は唱洪の国で重鎮の方に気に入られ、このまま亜伊夜の国を目指すと仰せでした」
「っ!」
目を見開いた朱夏に、汐之が気遣わしげな視線を寄越した。はっとして表情を引き締める。
「そうか。後は報告書を読むことにしよう。ご苦労であった」
「ありがたき幸せ。夏煌丸の次の出航には、また私めが小隊長としてつき従いたいと存じます」
「うむ。この報告書への返信も用意せねばならぬから、まだしばらく時はある。しっかり休息を取るがよい」
朱夏の言葉に深く頭を下げ、小隊長とともに他の船乗りたちも朱夏の御前を辞していった。
逸る気持ちのままに書状を開こうとした朱夏であったが、汐之が静かに止めた。
「ここは潮風が当たります。紙が傷むやもしれません。清津の休息所を借りましょう」
「……そうだな」
椅子から立ち上がり、朱夏は続々と夏煌丸から降りてくる者たちに視線を向けた。
大陸から戻ったばかりの興奮に、どの顔も輝いている。
船から下ろした積み荷を、せっせと荷車に積んでいる者。
先の大船で大陸に渡り、ようやく四季の国に戻れたことを喜ぶ者。
唱洪の国の者らしき女性を連れ、大切そうに寄り添っている者。
「……あれは、唱洪の国から連れ帰ったのであろうか」
朱夏の呟きに、汐之が船着き場へと視線を移す。
「ああ。あれは、あちらの国で出会った女人を、妻として連れ帰ったのでしょう」
何でもないことのように告げられ、朱夏の瞳が見開かれた。
「そのようなことが、可能なのか」
「それはまあ。お互いの同意があればよろしいのではありませんか」
「海を越えて嫁ぐとは、あの女人も豪胆な者なのであろうか」
首を傾げた朱夏に、汐之が小さな笑いを漏らした。
「汐之?」
「或いは、あちらの国では身寄りがなく、頼るべき縁者もおらずにこちらへ来たのやもしれませんな」
「ふむ」
他国の者との婚姻など想像もしたことのない朱夏の様子に、汐之が移動を促した。
「さあ。潮風に当たりすぎるのは、御身によくありません」
「うん」
善有たちからの書状を胸に、朱夏は清津が仮眠するために設けられている休息所へと足を踏み出した。
粗末な木の椅子に腰掛け、朱夏は卓の上で書状を開いた。
向かいに汐之が、大きな体を縮こめるように座る。清津に水を貰い、杯に注ぎながらじっと朱夏の様子を見守った。
幾枚にも及ぶ報告書を、長い時間をかけて読み終えた朱夏が顔を上げた。
「彼らは何と?」
主君を急かす真似はしたくない汐之だったが、大港に来ることに渋い顔をした輝山の大臣の手前、少しでも早く朱夏を宮廷に戻さねばならなかった。
昼になる前に出発して馬を駆れば、明日の夕刻には表宮にたどり着ける予定である。
「凄いな、三名とも」
「はい?」
「詳しくは、宮中に戻ってから輝山の大臣とも共有したいのだが。唱洪の国で皇帝に目通りして、亜伊夜の国担当の外交の者とも交流を深めて」
書状を畳みながら、朱夏は深い息を吐き出した。
「外交先を拡げたいと、亜伊夜の国へ赴く予定であった外交官について、かの国まで足を伸ばす、と」
朱夏の言葉に汐之も目を見開いた。無事に唱洪の国へとたどり着いたことで、いったんは帰国すると思っていたのだ。あちらに残るにしても、誰か一人は報告のために戻ってくるか。
朱夏も同じ思いであった。想像以上に有能な働きを見せた外交官たちに、称賛の気持ちが強くなる。
「海護隊の中でも語学が堪能な者とともに、今頃は亜伊夜の国へとたどり着いているであろうか」
「砂漠を無事に越えられているといいのですが」
眉を下げた汐之とともに、朱夏は善有たち三名の無事を天に祈った。




