佰漆拾
執務室での決裁を終え、朱夏は席から立ち上がり体を伸ばした。
隣で汐之が、手元の書状に視線を落とし溜息を吐いている。
「どうした?」
「ああ、いえ。これは浪嶺からの報告書ですが……」
「浪嶺から?奥宮で何事かあったのか?」
椅子に座り直し、朱夏は汐之に視線を向けた。
「えー、あー……」
珍しく言い淀む汐之に、朱夏は首を傾げる。反対側の席に座る輝山の大臣も、不審そうな瞳を向けた。
「湊刃の大臣。どうしたのだ?」
「重臣の方々がねじ込んだ侍女どのが、媚薬を隠し持っていたとか」
「……」
途端に呆れたような表情に変わった朱夏と輝山の大臣に苦笑を返し、汐之が書状を輝山の大臣に手渡す。
「そんなことをすれば生家に追い返すと、通達があったにも関わらず、か。どこの家の者か」
「複数人いたようですな。今上さまは三日と空けず奥宮へ通っておいでですから、お手がつくのも時間の問題とでも思っていたのやもしれませぬ」
「その侍女たちはどうした?追い出したのか?」
朱夏の問いに汐之は首を横に振った。
「そこまでの権限は浪嶺にはありませんからね。こうして私に、指示を仰いできたのです」
「奥宮の采配は舎利に任せているのだから、侍女の首切りくらい勝手に行ってもよいのだが」
「それでは重臣の方々に攻撃させる隙を作ることになります。今上さまに報告し、お許しを得たうえで行うならば、第二室さまの采配によるものと知らしめることができる」
汐之の説明に頷き、朱夏は奥宮で垣間見た侍女たちの姿を思い浮かべる。
どの娘も、侍女というよりは帝の側室といったような派手な出で立ちであった。少しでも朱夏の目に留まろうと、必死に着飾っていたのだろう。
実利的な装束の浪嶺が側にいたため、そのさまは朱夏の目には異様に映ったのだが。
「許す。第二室の権限で、侍女たちを追い出すがよい」
「では、そのように返信しておきましょう。……今宵も奥宮で休まれますか?」
窓の外ではすでに日が傾き始めていた。しばらくその景色を眺め、朱夏は首を縦に振る。
「そうだな。今朝の朝議も疲れた。少し、頭を休ませたい」
「では、奥宮に遣いを出しておきましょう」
「それと、櫻花楼の船が竣工したなら、先に送った外交官たちへ持たせる書状も認めたいな」
その言葉に頷き、汐之が別の書状に視線を移した。
「およそ二月後といったところですかな。夏煌丸と違い国の名で建造するわけではありませんが、櫻花楼の財力ならば突貫も可能でしょう」
「海の向こうでは、今頃どうなっているであろうな」
「彼らが亜伊夜の国を知る者と、上手く顔繋ぎできているとよいのですが」
先の知らせでは、唱洪の国の皇帝との謁見を待っているとあった。その報告書が書かれてから、どのくらいの時が流れているのかはっきりとはわからない。
焦れる胸を抑え、朱夏は海の向こうへと思いを馳せる。
「――では、そちらのお家の娘御も、奥宮を追い出されたと?」
密やかな声が表宮の一室に響く。
「左様。以前に仙螺から入手していた媚薬を、私室に隠していたことに気づかれたようです」
「湊刃の侍女。忌々しいことですな」
奥宮に家の娘を送り込んだ者たちであった。
貴族家の娘として着飾り、帝の側近くに侍ることで見初められ、お手つきとなることを期待された娘たちである。
「やはり女は役に立たぬということですかな。今上帝さまのお目に留まることも叶わず、易々と追い出されるとは」
「いずれかに、湊刃の大臣が見出したような、使える庶子の娘などいないものか」
「そちらさまは、お若い頃は大層派手に遊んでおられたと記憶しておりますが。どこかに撒いた種が芽吹いてはいないのですかな」
にやにやと嗤う男たちに、密談を交わす内の一人がおずおずと手を挙げた。
「その、我が家にも本家に引き取るか迷っている娘がいるのですが」
「ほう。どのような娘御か」
「今上帝さまと年の近い、気立てのよい娘です」
「その年までどこにも嫁いでいないなど、欠陥でもあるのでは?」
無礼な問いにも、手を挙げた男は困ったように微笑むだけである。
「実母が欲深くてですね。少しでも高い身分のお相手を見つけようと選り好みしている内に、娘も年がいってしまったのですが。先ごろその実母が亡くなったんですよ」
「ほぉ」
「それで、我が家で引き取るか話し合っているのですが。少し年がいっている方が、もしや今上帝さまには見初められるのやもしれぬ、と思いまして」
その言葉に重臣たちがはっとしたように顔を見合わせた。
「確かに。ご正室さまはまだ幼く、今上帝さまと閨をともにはされていなかった。欲を向けられるのは、妙齢の女人ということになりますかな」
「しくじりましたな。我が家の娘では、今上帝さまには幼かったのか」
「成る程。これは盲点であった。では、その娘御を引き取って、奥宮に参内させればよいですな」
今度こそ、自分たちの手駒を帝の側室として召し上げさせることができるかもしれない。
凝りずに企み続ける重臣たちの、滑稽な密談であった――。




