佰陸拾漆
帝の成婚は、本来国を挙げての慶事である。
本宮にて成婚の儀が行われた後は、七日間の祝宴が盛大に催されるのが通例であった。
しかし、朱夏が正室である煌姫と成婚した折には、煌姫の幼さを理由に宴は式典の後で昼から夕刻にかけて開かれた。七日間の宴は、煌姫の成人を待って盛大に催すことが予定されていたのだ。
そしてこの度の第二室舎利の入内は、病床に伏せる煌姫の代わりに奥宮を差配するためのものと公表された。
そのため、本来ならば側室を迎えた後に行われる三日に及ぶ祝宴は、宮廷で開かれなかった。
執務机に向かう朱夏の横顔に、汐之の視線が突き刺さる。
「……言いたいことがあるのならば聞くぞ、湊刃の大臣」
書類から目を上げ、朱夏は汐之に顔を向けた。驚いたように瞳を見開いた汐之が、くすりと笑う。
「ご無礼致しました。首尾よく初夜の儀を済ませられ、重畳であると思ったまでですよ」
「……」
「我が義娘は、しっかりお勤めを果たせましたかな?」
汐之の声にからかうような響きはなかった。純粋に、娘となった舎利を案じているのだろう。
「本日よりは、奥宮の侍女たちと顔を合わせ、宮中での暮らしに慣れると言っていた」
朱夏の答えに汐之が安堵の笑みを浮かべた。反対側の席で、輝山の大臣も感心したように頷いている。
「よろしゅうございました。ご正室さまがお戻りになるまで、奥宮の差配は第二室さまにお願いできますな」
たとえ遊郭出身で、さらには汐之の養女となった舎利ではあっても、帝の側室となった以上両大臣よりも身分は高くなる。汐之の口から第二室さまという呼び名がなされ、朱夏は気恥ずかしさに耳が熱くなるのを感じた。
誤魔化すように軽く咳払いする。
「次の大船が戻るまでに、また半年待たねばならない。外交官の三名には次の指示を出してはあるが……もどかしいな」
「そこで、ご報告がございますが」
「報告?」
汐之の言葉に首を傾げ、朱夏は体ごと汐之に顔を向けた。
「何だ?」
「昨夜、櫻花楼の楼主と酒を酌み交わしました」
反応したのは輝山の大臣である。
「第二室さまの輿入れ行列を、見物にでも来ておったのか?」
「ええ。それと、支度品がきちんと整えられているかの確認でしょう」
その説明に頷き、朱夏が続きを促した。
「近年、かの楼が外国との交易を盛んに行っているのは、お二方もご存知ですな」
頷きを返した二人に、汐之が続ける。
「櫻花楼の名での造船の許可を、今上さまの御名でいただきたいそうですよ」
「っ!」
大きく目を瞠った朱夏に、汐之が懐から何かの書状を取り出して手渡した。
「……これは?」
「造船の許可を願う嘆願状です」
「手早いことだな」
朱夏の呟きを聞き流し、汐之が輝山の大臣に視線を向けた。
「これまで櫻花楼は、唱洪の国やその周辺の小国と取引をしていたそうです。此度、今上さまが新たな国々と交易する方針を公表なさいました」
朱夏が帝となってからの朝議で宣言された内容は、宮廷からの触れ書きとして民にも広く発表されていた。
「夏煌丸も新造され、無事大陸へと渡りました。それを好機と、個人で所有する船で大陸とやり取りしたいそうです」
「……まさか」
封をされた書状を見つめたまま、朱夏が震える声を漏らした。
恐る恐る視線を汐之に向けると、深い緑の瞳で静かに朱夏を見ていた。
「亜伊夜の国には、珍しい絹地や花々、四季の国では見ないような食物があるそうです」
「……」
「現在、どこのどなたも亜伊夜の国と交流していない。四季の国で初めに珍しい品々を扱うのは、我が楼でありたいと、そう話しておりました」
朱夏は指が震えるのを止められなかった。
外交官を送り込んだ夏煌丸だけでなく、櫻花楼が個人的にも亜伊夜の国へ渡ろうというのか。煌姫救出に、また近づけるのだろうか。
混乱する胸の内をここで明かしていいものか、朱夏は悩んだ。どくどくと、鼓動がうるさく鳴り響いている。
じっと朱夏の答えを待つ両大臣に何か言わなければならないのに、言葉が上手く出てこなかった。
見かねた輝山の大臣が、世間話というように軽く声を発した。
「櫻花楼の楼主は、昔からやり手と言われておったからなあ。目新しいものに飛びつく商魂と、時勢というものを読む力に長けておるな」
「まことに。此度の第二室さまの入内で、支度品を都合したばかりという時機の読み方も素晴らしいですな」
「今ならば、湊刃の大臣に願い出る時機として、これ以上ないからな」
「そして、私に願い出たなら、必ず今上さまに奏上される」
凛慈の人好きのする笑みを思い浮かべ、両大臣は同時に苦笑を浮かべたのだった。




