佰陸拾伍
四季の国の帝が、初めての側室を迎える――。
正室である煌姫が病に伏しており、後宮である奥宮の差配をするために、右の大臣である湊刃家の当主が娘を入内させる。
これが、民に知らされた公の筋書きであった。
煌姫の容態を案じながら、宮廷からの振る舞い酒を喜ぶ民からは、不満の声は上がらなかった。
本宮から奥宮への回廊の手前で、重臣たちがひそひそと囁き合っている。
湊刃の大臣が、養女に迎えてまで朱夏の側室に押し上げた娘を一目見ようと、奥宮の黒門が見える位置に陣取っているのだ。
「――では、そちらのお家も、ご息女を侍女として参内させるのですな?」
「今上帝さまの言質は取りましたからなぁ。何としても、籠絡させねばなりません」
「湊刃の大臣のあの自信ありげな態度は気にかかりますが。やはり由緒正しき家の娘が、第二室さまには相応しい」
「一目でもご覧になれば、今上帝さまのお気持ちも変わることでしょう」
話しながら興奮してきたのか、重臣たちの声が徐々に大きくなる。
「しかし、大仰なお支度ですな」
「左様。行列の先頭はすでに黒門にたどり着いたというのに、肝心のご側室が乗った輿がいまだ見えぬとは」
「金にあかせて、これでもかとお道具を詰め込んだのでしょう」
汐之を馬鹿にするように、重臣たちは鼻を鳴らす。
「いやはや。そうまでして権力の座に就きたいとは、恐れ入る」
「己を海の男と称して豪胆に見せかけておいて、結局は仙螺の者たちと同じですな」
「だが、今上帝さまのご信頼が厚いのも確か。何とかして、我らの娘には頑張ってもらいませんとなぁ」
「何、今上帝さまもまだお若い。他に見目よき高貴な娘が侍れば、すぐにお心を向けられることでしょう」
毎度のように繰り返される密談に、壁裏に張りつく隠密たちの溜息が聞こえてくるようであった。
飽きもせず話す内容に、朱夏の寵愛を己が娘が受けることを信じて疑わないその慢心に、感情を隠すことに長けた隠密たちが嘲笑を漏らす。
しゃらん、と鈴の音が鳴り響いた。
表宮を進んできた行列が、側室の乗った輿の到着を告げる。
豪奢な輿であった。黒檀の枠は金銀で縁取られており、最高級の紗が窓に掛けられている。
季節の花々がふんだんに飾られ、輿が進む度に品のよい芳香が漂う。
ごくり、と重臣の誰かが唾を飲み込んだ。
あれほどの支度を、我が家で行えたかどうか。
海運を握る湊刃の財力に、知らず肩を震わせた者もいた。
そんな重臣たちを尻目に、輿はゆったりと黒門へとたどり着いて止まる。
先導してきた汐之が、輿の脇に立って警護の武官に声を掛けた。
「世を遍く照らす今上帝さまへ、右の大臣湊刃の汐之が、ご側室さまを送り届けに参りました。ご開門願います」
朗々と響き渡った声に、ゆっくりと黒門が開かれる。
輿を振り返った汐之が、扉に手を掛け静かに開けた。すっ、と白く細い手首が内から伸ばされる。
汐之の手を取り、優雅な仕草で匂い立つような美女が降り立った。
群青の髪を複雑な形に結い上げ、金銀の簪で飾っている。
濃紺の扇で顔の下半分を隠し、同じく濃紺の衣を身に纏っていた。裳は薄青で、身につけるものすべてが、朱夏を思わせる色彩であった。
ちらり、と重臣たちを見やった双眸は髪と同じ群青色で、艶っぽい流し目に重臣たちの喉が鳴る。
ふいっと視線を逸らし、第二室となった舎利が汐之に頭を下げた。
「これより先、義父はともに行けぬ。奥宮よりの迎えの侍女の先導で、今上帝さまの待たれるご寝所へ向かうがよい」
「はい。義父上さま、ここまでお支度を整えていただき、ありがとう存じます。今上帝さまのお心のお慰めとなるよう、お勤めに励んで参りますわ」
高すぎず低すぎず、男の心を狂わせるような色香を感じる声であった。
小首を傾げた義娘に頷き、汐之がその手を離す。
奥宮から出てきた侍女に手を取られ、舎利がゆったりと足を踏み出した。
その場に漂う不思議な香の香りに、重臣たちは言葉もなくその背を見送った――。




