佰伍拾捌
すっと立ち上がった凛慈が、楼主としての表情を作り直して口を開いた。
「お話はわかりました。まずは、彼女と過ごしていただかなくては、私の一存では決められません」
「では、今宵の金子を払えばよいのか?」
首を傾げた朱夏に、凛慈は口の端を上げて首を振った。
「舎利はね、己で己を身請けできるくらいには、稼いでいるのですよ」
その言葉に朱夏は瞳を見開いた。いや、隣で輝山の大臣も目を丸くしている。
「ただ、憧れていた朋輩に倣って、見習いたちの面倒を見るためにここに留まっているのです」
「……」
「ですから、貴方さまと夜を過ごす際は、舎利は自分で金子を払っています」
己の不甲斐なさに朱夏は頭を抱えた。そんなことを、舎利は一言も言わなかった。
凛慈がうっそりと微笑む。
「先ほどのお申し出を受けるならば、貴方さまは花たちを買われない方がよろしい。旧臣の方々に、攻撃される隙となります」
「だが……」
「体面というものも、必要でございましょう。さあ、ご案内致します」
凛慈に促され、朱夏は輝山の大臣とともに重い腰を上げた。
小部屋を出て、最上階へ向かうための階段に足をかける。背中に祖父の視線を感じながら、朱夏は一段ずつ踏みしめた。
ふわり、と香る舎利の香に全身が包まれるような心地がした。
部屋の中央、長椅子の脇に立ち、舎利が頭を下げて朱夏たちを出迎えた。
「ようこそ、いらせられませ」
朱夏に視線を合わせた舎利が、半歩後ろに立つ輝山の大臣の姿に首を傾げる。
「初めておいでのお客さまですわね?」
群青の髪を複雑に結い上げ、白い花を飾りに挿している。妓女のための装束は薄青で、ゆったりとした造りだが肌が隠されているために嫌らしさはなかった。
紅を引いた唇が、白い顔の中で赤く艶めいていた。
「あー、こちらは、その……」
「祖父君だそうだ」
あっさりと明かした凛慈を睨み、朱夏はぽり、と頭を掻いた。髪と同じ群青色の瞳を見開く舎利に、気まずそうに声を掛ける。
「その、今宵は其方に、大事な話があってな」
「ひとまず、こちらへお掛けくださいな。お酒より、お茶がよろしいかしら?」
長椅子を指した舎利に頷き、朱夏は室内を大股に歩いた。
「お連れさまも、どうぞ」
舎利の声に振り返ると、輝山の大臣は興味深げに室内を見回しているところだった。
「いやはや。驚いた。これは、我らが常から過ごす場所と、それほど変わりない豪華な部屋だな」
「この部屋は、この楼で最上のお部屋でございます。高貴な御方や金子をはずんでくださるお大尽が、夢のひとときをお過ごしになられるよう、整えてあるのですよ」
凛慈の説明に頷きながら、輝山の大臣も長椅子に腰を下ろした。卓を挟んで反対側の一人掛けの椅子に、凛慈が座る。それを不思議そうに眺め、舎利が朱夏の隣に腰掛けた。
長椅子の中央に朱夏、それを挟んで左右に輝山の大臣と舎利が座る形となる。
何やら急に気恥ずかしくなった朱夏だが、一つ咳払いして口を開いた。
「その、舎利」
「はい?」
薬草茶を淹れながら舎利が答える。
「其方は、私のことを、どのくらい知っている?」
「はい?」
「その、何というか、素性など……」
目を丸くした舎利が、朱夏と大臣の前に茶器を差し出した。
「どういう意味でして?」
「いや、その……」
「ここでは、お客さまがどこのどなたであろうとも、等しく扱いますわ。身分の高い御方でも、そうでない御方でも、同じだけの金子を払われるのですもの」
これまで、朱夏は己の身分について舎利と話したことはなかった。だが、琉兎から何か聞いているかもしれない。凛慈が、朱夏について話したことがあるかもしれない。
自分で明かさなくてもよいかもしれないというずるい考えを、朱夏は内心で恥じた。
きゅ、と唇を噛んだ後、舎利の瞳を正面から見据える。
「唐突で驚くかもしれぬが」
「はい」
「私の、側室になってくれぬか」
時が止まったような静寂が流れた――。




