佰伍拾伍
夏煌丸が大港を出航してから四月が過ぎた――。
宮中の日々は変わりなく流れる。
朝議の席で話し合われる議題に変化はない。
民の年貢について。
地方で疫病が流行っていないか。
先ごろ戻った大船に乗ってきた、唱洪の国からの交易品について。
そして、近頃重臣たちの口に上るのが、朱夏の側室についてだった。
「今上帝さまの御世は始まったばかりとはいえ、やはり細君が一人もおられないのは後継についての懸念がございますぞ」
重臣の一人が放った言葉に、朱夏は内心で溜息を吐いた。側室は不要とどれだけ伝えても、彼らは己の娘を勧めてくる。現在、帝一族の男は朱夏ただ一人。もし今何事か朱夏の身に起これば、帝の位に就ける者は誰もいなくなる。
その焦りを建前に、権力を握りたい旧家の者たちが朱夏に側室を迎えるように言ってくるのだ。
「今上さまにそのおつもりがない以上、無理にご息女を入内させても意味がないのではありませんかな」
静かな輝山の大臣の反論にも、重臣たちは怯まない。
「今上帝さまはまだお若い。由緒ある家の娘をお迎えになれば、必ずやご寵愛を向けられることでしょう」
「そも、輝山の大臣は今上帝さまの祖父君として、お孫さまに教え諭されるべきではありませんかな」
「左様。お世継ぎを設けられることは、今上帝さまの大切なお務めですぞ」
うんざりし始めた朱夏の内心を慮ってか、汐之が口を開いた。
「方々のご意見はもっともです。しかし、今上さまは海の向こうに想いを向けておいでです。無理強いなさるのは、ご息女のためにもなりますまい」
「そう仰せになりながら、湊刃の大臣こそ、ご息女を入内させるおつもりでは!?」
厳しい声に汐之は目を丸くしてみせた。
「おやおや。我が家に娘はいないのですがねぇ。情報というものは、正しく掴まねばなりませんぞ」
その言葉に、顔を真っ赤にさせて重臣が押し黙った。
溜息を隠さず、朱夏は割って入る。
「夏煌丸が交易へと向かっている今は、朕と我が国にとって大事な時だ。側室になど、うつつを抜かしている場合ではない」
「されど、今上帝さまっ」
「くどい。交易が落ち着き、国が富んだならば、考えてやる」
「そのお言葉、忘れませんぞっ」
言質は取ったと言わんばかりの重臣たちを眺め、朱夏は再び溜息を零した。
執務室に戻り、冠を脱ぎ捨てた朱夏は長椅子に背を凭れさせた。向かいに座る両大臣を睨む。
「何故、誰も彼も側室を勧める」
「そりゃあ……」
輝山の大臣をちらりと見やった後、汐之は眉を下げて答えた。
「外戚になりたいからでしょうよ」
「外戚だと?」
「家から帝の室を出せれば。そして、その室が親王を産みさえすれば。その家は外戚として権威を振るえると信じておられるのですよ。輝山の大臣のように」
汐之の言葉に眉を寄せ、朱夏は祖父を見た。
「輝山の大臣は確かに朕の祖父上だが。それだけで、大臣の位に就いているわけではないぞ?」
「勿論ですとも。ですが、それがわからない者が多い」
特大の溜息を吐いて、朱夏は頭を悩ませる。
「どうすれば、重臣たちを黙らせることができるであろうか」
薬草茶に糖蜜を垂らして朱夏に差し出した烏が、何か言いたげに三人を見ている。
気づいた汐之が首を傾げる。
「側近どの、どうなされた?」
「あ、いえ……吾には政のことはよくわからないので、見当外れの意見かもしれませぬが」
「よい。申してみよ」
薬草茶に口をつけた朱夏が許可を出す。遠慮がちに、烏が口を開いた。
「その。実際に側室をお迎えになってはどうか、と」
「烏っ?」
「勿論、重臣の方々のお家から、というわけではなくてですね」
襟首に掴みかからんばかりの勢いの朱夏に、烏が胸の前で両手を振ってみせた。
「まあまあ、今上さま。まずは話を聞いてみましょう」
「……」
「側近どの、続けて」
汐之の言葉に、唾を飲み込んだ烏が続ける。
「その……今上さまの足枷にならないような女人を、とりあえずの側室として迎えればよいのではと思いまして」
「そんな女がおるか?」
首を傾げた輝山の大臣に、烏は恐る恐るながらも答える。
「身分は高くありません。そもそも貴族ではありませんが。今上さまがお心を許せる相手だと、吾は思っております」
「……ああ」
何かに気づいたように頷いた汐之に、輝山の大臣が胡乱な目を向けた。
「湊刃の大臣?」
「いや、とりあえず最後まで聞きましょうか」
視線を向けられた烏が頷く。
「その……湊刃の大臣の、ご養女になさればよいのでは、と愚考致しました」
「我が家の養女?」
「はい。そうすれば、万一そのご側室が孕まれたとしても、外戚となるのは湊刃家でございます」
烏の提案に、三者三様に瞳を見開いて押し黙った。
口を開いたのは汐之であった。
「それは……悪くない考えかもしれません」
「汐之っ?」
思わず名を呼んでしまった朱夏に、汐之が微笑む。
「側近どのが誰の話をしているか、今上さまにもおわかりでしょう?確かに、あの娘ならば貴方さまのお邪魔にはならないでしょう。湊刃の養女とするのならば、身分も問題ではない」
「だがっ」
「何より。一人でも室を迎えれば、重臣方もいったんは黙らせられる」
こほん、と咳払いが割って入った。
「一体、誰の話をしておいでか?」
蚊帳の外に置かれた輝山の大臣である。
ばつが悪そうに視線を逸らした朱夏に、輝山の大臣が厳しく問いかけた。
「今上さま。この祖父に、どんな隠し事をしておいでか」
「……」
助けを求めるように汐之と烏に目を向けた朱夏は、そっと逸らされた顔にがっくりと項垂れた。




