佰伍拾弐
帝の居室を辞した外交官の若者が三人、廊下を歩きながら静かに会話を交わす。
「今上さまは、思っていたよりもずっと、大きな器の御方でございました」
築岳の言葉に、善有が頷く。
「お若くして御位に就かれ、いまだご経験も豊富でないかと思っていたが。両大臣を従えて我らに語りかけるお姿は、堂々として神々しかった」
「小耳に挟みましたが。善有さまは、面接で仙螺に仕えたままでなくてよかったと、お答えになったとか?」
「耳が早いな?」
片眉を上げた善有に築岳は微笑みだけを返した。
すれ違う文官たちが、三人の姿を認めて壁際に控えて頭を下げる。三人の胸元に、帝から賜った玉を飾っているせいだろう。
ふん、と鼻を鳴らして善有が口を開く。
「これまで我らには目もくれなかったくせにな。仙螺にいた頃とて、下っ端の私のことを見下していた方々だ」
「まあ、仕方ないのではありませぬか。地位によって態度を変える御方とは、当たり障りなく接していればよいのです」
「それもそうだ。そして、築岳どの」
「はい?」
廊下の角を曲がり、三人は今回与えられた外交官のための部屋へと足を踏み入れた。
「我らは、これよりともに働く同士なのだ。いつまでも善有さま、などと呼ばなくともよい」
善有の言葉に築岳は眉を下げて微笑んだ。
「そうは仰せになりましても。やはり身分差というものはついて回るものです」
「追々で構わぬさ。それと、今上さまの仰せに従い、外交官の長を決めねばな」
各々に用意された席に着き、机の抽斗を確かめながら言う善有にようやく親雪が口を開いた。
「通例でいけば、身分順か年齢順となります。どちらも満たしておられるのですから、長は善有さまでよろしいのでは?」
新たな文具に瞳を輝かせている親雪に、善有は顔の前で指を振ってみせた。
「私は、築岳どのを推す」
その言葉に動きを止めた築岳が、藍色の瞳を驚きの色に染めた。
「私、でございますか」
「築岳どのはすでに大陸に渡ったことがあり、経験も豊富だろう。今上さまのお望みを叶えるためには、築岳どのを長として外国の方々と渡り合った方がよい」
「……」
築岳の視線が親雪に向く。
「親雪さまは、善有さまを推されておいでなのでは?」
問われた親雪が、困ったように眉を下げた。
「善有さまは我らの内でご身分も高く、仙螺で文官の仕事にも携わっておいででした」
「ええ」
「築岳どのは、渡航のご経験がありお言葉も少しはわかるとか」
「……」
くるりと朱色の瞳を動かし、親雪がにっこりと笑った。
「重臣方への手前もございますので。長は善有さま、副長は築岳どのでよろしいのでは?」
善有と築岳、二人の口がぽかんと開いた。副長まで定めるつもりはなかったのだろう。
「……面白いな」
善有の呟きに築岳も頷く。親雪だけが、きょとんと首を傾げていた。
「大船の竣工は一月後だ。それまでに、旅支度を進めながら我らの親交を深めるべきではないだろうか」
「いいですね。私も同意見です」
息の合った二人のやり取りを眺めながら、親雪が尋ねる。
「お二人は、出航までの期間、ご生家に戻られますか?」
「外交官に任じられた報告には戻るが」
「それよりも、櫻花楼での買いつけや大港の様子の観察に行きたいですね」
輝山の大臣から手渡された書状に、親雪は目を落とした。長を誰にするか報告するための書状である。
手跡の美しさを見込まれて、書記を任された親雪が筆を手にした。長の欄に善有の名を、副長の欄に築岳の名を書いていく。
「大港は私も行ったことがありません」
「では、近い内にともに参ろう」
「宮中に出仕するよりも支度にあたれとの、両大臣の仰せでしたからね」
輝山の大臣も湊刃の大臣も、勿論帝である朱夏も、三人にとっては雲の上の人であった。それが、外交官に任じられたことにより直接言葉を賜われる地位になり、誇らしくも恐れ多かった。
「それでな、二人とも」
悪戯っぽく笑った善有に、二人が視線を向けた。
「今宵、町に下りて酒を酌み交わさぬか」
目を丸くしたのは親雪であった。築岳は面白そうに片眉を上げた。
「さ、酒でございますか」
「何だ、親雪どのは飲んだことがないのか?」
「生家ではそう手に入るものではありませんでしたから。実はあまり口にしたことがございません」
「築岳どのはどうだ?」
視線を向けられた築岳は、首を傾げて笑みを浮かべた。
「それほど量は飲みませんが。ただ、唱洪の国では酒宴が開かれる機会が多くあります。今の内から慣れておくことも必要かと」
「では、決まりだな。仕事を片づけて、町へと繰り出す。そして、親睦を深めるのだ」
嬉しそうに告げた善有に、親雪と築岳がしっかりと頷いた。




