佰伍拾壱
静まり返った部屋の中、始めに口を開いたのはそれまで黙っていた汐之であった。
「其方らがここで辞退を申し出ても、宮中を追われることはない。文官として、別の勤めに励めばよいだけだからな」
はっとして顔を上げた三名に微笑み、汐之が続ける。
「無論、考える時はそれほどやれん。一人でも辞退するならば、別に選出し直さなければならんからな」
「其方らが外交官として励むならば、旅支度は国庫から出す。十分な支度をさせてやるゆえ、案ずることはないぞ」
輝山の大臣の言葉に再び三名は考え込んだ。その様子を、朱夏は薬草茶を口に含みながらじっと眺める。
ふと、築岳が視線を上げた。
「面接でも申し上げましたが、私は亜伊夜の国に赴いたことがございます」
他の二人が築岳に視線を向ける。
「かの国は奔放で情熱的な、我が国とは何と言いますか……馬が合わぬようなお国柄です。国として交流を図るならば、かの国の王族や貴族の方々とのやり取りが肝要となります」
「うむ」
「我が国とは言葉も違います。私も片言程度でしたら話せますが、今上さまが仰せのようにご正室さまを奪還となると、どれだけ時がかかるかわかりかねます」
「……」
すっと築岳は背筋を伸ばした。
「難しいお勤めですが、やり甲斐がございます。首尾よく今上さまの命を果たせたならば、己が胸に誇ることができます。私は、このまま外交官として今上さまのお役に立ちたいと思います」
きっぱりと告げた築岳に、朱夏は微笑みを返した。
善有が口を開く。
「私は、外国との交易を夢見て文官になりました。外交を担っていた仙螺家にいた頃は、下っ端のような雑務ばかりで政に関われることは少なかったのですが。今こうして外交官に任じられて、仙螺にいた頃よりも大きなお役目をいただけることに胸を熱くしております」
深緑の瞳を輝かせる善有に、朱夏は頷いた。
「今上さまが仰せのお役目を果たすに足ると、そう私を評価していただいたご恩に報いるためにも、外交官として精進したいと考えます」
「そうか」
善有と築岳の視線が、親雪に向けられる。俯いて考え込んでいた親雪は、唇を噛んだまま何も言えずにいた。だが、誰も急かすような言葉を発しなかった。
烏がそれぞれの茶器に薬草茶を注ぐ。
「朕には糖蜜を垂らしてくれ」
朱夏の言葉を受けて、烏が茶器に糖蜜を一滴垂らす。その様子を見ていた築岳が、興味深そうに口を開いた。
「それは?」
「糖蜜だ。これも唱洪渡りのものだが。一滴垂らすと甘みが増して、心が落ち着く。飲んでみるか?」
「ぜひ、お願い致します」
頷いた築岳の茶器にも、糖蜜が垂らされた。一口含み、爽やかな香りと甘みを楽しんでいるようだ。
「これは、素晴らしい。女人が好みそうなものかと思いましたが、ほのかな甘みが心身に染みます」
「唱洪の国に赴いた際には、口にしなかったのか?」
「あちらのお国では、民の口に入るのは随分味を薄めたものでございました」
茶器を卓に置き、築岳は己の経験を朱夏に語って聞かせる。
「高貴な方々が飲まれる薬草茶の茶葉に、かさ増しのための低品質の茶葉を混ぜるのです。それを煎じて飲むため、味は薄くなります」
「ほう?」
「さらに糖蜜は、民には手の出せない高価なものですから。こういった飲み方は唱洪の国でも、高貴な方々しかなされないでしょう」
頷く朱夏の耳に、か細い声が届いた。
「……羨ましいです」
「えっ?」
驚いたように目を見開き隣を見た築岳に、親雪が悲しげに微笑んでみせた。
「親雪さま?」
「築岳どのは、己の力で海を渡り、見聞を広げられた。私は、唱洪の国に憧れていると言いながら、そんな勇気はなかった」
自嘲するような言葉に、築岳がぽりぽりと頭を掻く。
「だから、此度の試験にすべてを賭けていました。大臣の面接にまで進み、外交官に任じられて、天にも昇る心地でおりました」
「それは私もですが……」
「私はどうにも気弱で。こんなことでは、大きなお役目を果たせるのか不安で不安で……。それなのに、築岳どのは堂々と、今上帝さまにもきちんとご自身の体験をお話しになって。羨ましいことです」
返す言葉を見つけられず黙ってしまった築岳に、親雪は力なく言葉を続けた。
「外国の御方と渡り合うには、やはり築岳どのや善有さまのように、豪胆な方がよいのではないかと、そう考えてしまいます」
「……」
「だが、其方は面接で答えた。死ぬ気はないと」
朱夏の言葉に、親雪がぱっと向かいに顔を向けた。
「今上帝さま?」
「外交官として、命を賭して役目を果たす覚悟があるかとの問いに、其方は答えたろう?死んでしまっては、朕に仕えることができなくなる、と」
「……」
朱色の瞳を真っ直ぐに見つめて朱夏は続ける。
「命の限り尽くすと、そう言い切ったではないか。湊刃の大臣のように、実力で高い地位に上るのだと」
「……今上、さま」
「朕は、其方の言葉に胸を打たれたのだぞ?そう己を卑下するものではない」
ぽろり、と親雪の瞳から涙が零れた。慌てて頬を袖で拭う親雪に、朱夏は優しく声を掛けた。
「其方も、善有も築岳も。試験で優秀な成績を残し、面接でも豪胆に、正直に答えた。だから今ここにいるのだ。朕と同じ卓を囲み、直答も許されている」
「あ……」
「己を卑下するということは、其方を選んだ朕や両大臣を貶めることだ」
肩を震わせた親雪の両隣から、善有と築岳がその肩に手を置いた。
「秀聯の親雪。外交官として、朕の役に立ってくれるな?」
異を唱えることなど許されないというように、其方を信じているのだと伝えるように問われた言葉に、親雪は深く深く頷いた。
「この命ある限り、今上さまにお仕え致します」




