佰参拾
表宮の執務室に戻り、朱夏は帝のための椅子に座る。
終わったという実感はまったくなかった。仙螺を裁いても、煌姫の安否はわからぬままだからだ。
烏の淹れた茶を口に含み一息吐いていると、輝山の大臣が執務室へと戻ってきた。
「今上さま、ただいま戻りました」
「弦葉は?」
朱夏の向かいに腰を下ろした大臣の前に、烏が茶を差し出した。一口飲んで輝山の大臣が口を開く。
「お家は取り潰しとはいえ、元は高貴なお血筋。貴人牢にて毒を賜われるように手配致しました」
「ご苦労であった」
「あとは、元ご嫡男と元第二室さまですが」
じっと見つめられ朱夏は苦笑を漏らした。
「嫡男は……まあ、もはや生きているとは言えぬのではないだろうか」
櫻花楼の女たちを手酷く扱い恨みを買っていた仙螺の黄駕。
朱夏の尋問を終えた後から、遊女たちに代わる代わる嬲られたことだろう。
「左様でございますか。詳細は、聞かぬ方がよろしいですか」
「……切り落としたそうだぞ」
「は?」
目を丸くした輝山の大臣の珍しい表情に、朱夏は苦笑しながら再び告げた。
「か弱い女に二度と悪さをできぬように、男の象徴を切り落としたそうだ」
「それ、は……」
「それでも命までは失えず、正気も保っていられず。あのまま眠るように逝くかもしれぬな」
思わず、といった風に足をすり合わせて身動いだ大臣に、朱夏は言葉を続ける。
「公には、先ほど告げた通りの沙汰が下ったと触れを出しておけばいい。元は貴族ゆえ、骸を晒す必要はなかろう」
「蓮黄どのの方は」
大臣の問いに、朱夏は腕を組んで答える。
「あちらも、意識が戻ることはもうなさそうだ。彩里とともに、その命をもって償いとさせよう」
「御意」
蓮黄には朱夏も随分苦しめられたが、帝になった今となっては些末なことだった。媚薬を盛られ、女たちを送り込まれたことすら、懐かしく感じるほどだ。
煌姫を連れ去ったことと、琉兎の命を奪ったことだけは、どうあっても許せることではなかったが。
「仙螺家の終焉とともに、集めた証拠も処分するのか?」
「そうですねぇ……しばらく、禁庫に保管するのもよいかもしれませぬ」
顎に手を当てて考え込んだ輝山の大臣が、迷うようにそう口にした。朱夏は首を傾げる。
「だが、また誰かに利用などされたらことだぞ。焼却してしまった方がよいのではないか?」
「無論、厳重に管理致しますが。国に弓引けばこうなるのだと、仙螺の顛末を添えて保管すればよいでしょう」
まだ、使い途があるということだろうか。
「仙螺の企みは無事に潰せましたが、空いた地位に取って代わろうという愚か者はいるやもしれませんから」
「わかった。そちらは任せよう。あとは、新たに右の大臣を決めねばならぬな」
茶を飲み干し、朱夏は立ち上がって執務机の抽斗を開けた。宮廷に仕える臣下たちの名簿が整えられていた。
座り直し、ぱらりと綴られた名簿をめくる。
「其方は、どの家から大臣を出すべきだと思う?」
帝の左右に並び立つ重要な地位だ。輝山の大臣の意見も取り入れるべきと思って尋ねた朱夏に、大臣は目を丸くしてみせた。
「大臣?」
「いえ。てっきり、湊刃を取り立てるのかと思っておりましたから」
「湊刃か。独自に水軍を持つあの家が、これまで海際の国防を担ってきたことを考えれば、それもよいと思うが」
名簿をめくり、湊刃の当主の名に朱夏は目線を落とした。
「何か、ご懸念がございますか」
「私……朕は、湊刃の当主に会ったことがあまりなくてな。式典や朝議の際に、多少挨拶を交わした程度だ。人となりがわからない」
名簿から視線を上げ、朱夏は頼もしい祖父をじっと見つめた。
「其方の隣に並ぶ大臣として、不足なしの相手であろうか」
「成る程。今上さまの御心はよくわかりました。一度、酒の席を設けてみてはいかがでしょうか」
「湊刃の当主とか?」
首を傾げた朱夏に、大臣は深く頷いた。
「いずれ、国の名を冠した水軍を編成し、亜伊夜の国へと向かわせるためには、湊刃の力が絶対に必要です。どのような人物か、今上さまがその目でお確かめになられるとよいでしょう」
「……そうだな」
「湊刃のご当主は、都の貴族ではありますが海の男でもあります。きっと今上さまのお気に召すでしょう」
自信ありげに告げられて、朱夏の胸に安堵の思いが少しだけ広がった。




