↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四季帝(しきのみかど)、愛のゆくえ  作者: 紫月 京
四の章 失われたもの、奪われたもの

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

130/161

佰弐拾捌


扉を開いた瞬間、ふわりと香る花のような甘い香り。

櫻花楼の売れっ妓舎利が、独自に調合した香の香りが朱夏の全身を包んだ。

部屋の中央に立って待っていた舎利が、朱夏の姿を認めて微笑みを浮かべる。

「ようこそいらせられませ、日の御子さま」

足を踏み入れ、朱夏は苦笑とともに舎利の挨拶を受けた。

「その呼び名はどうにも擽ったいな。朱夏と呼んでくれぬか」

朱夏の言葉に、舎利は群青の瞳を丸くしてみせ口元に手を当てた。

「まあ、恐れ多い。そんな不敬な真似をしては、迦陵姐さんに叱られてしまいます」

舎利が立つ側の長椅子に促され、朱夏はゆったりと腰を下ろした。

「お隣に、失礼致します」

やわらかく声を掛けた舎利が、朱夏と並んで座りながら卓に置かれた盃に酒を注ごうとする。

「ああ、いや。酒は……」

「お嫌いでございますか?」

「嫌いというわけではないが。理性を保っていられなくなっては困る」

くすくすと笑いながら、舎利が扉側に控えていた凛慈に目を向けた。心得たというように頷き、凛慈が深く頭を下げる。

「それでは、日の御子さま。櫻花楼での夢のひとときを」

そして、立ち尽くす烏の袖を引いて部屋を出ていった。影となり護衛する烏といえども、さすがに主君の閨事まで見張っているわけにもいかない。

毒の心配は尽きないが、主君が受け入れているのに口を出すのは無粋でもあった。櫻花楼という場所と、凛慈という楼主を信用するしか、烏には手がなかった。


出ていった烏の心配が手に取るようにわかる朱夏は、苦笑しながら舎利に視線を向けた。

「私の側仕えが済まぬな」

「高貴な御方のお側仕えですもの。あのくらい、警戒心が強くなくては務まりませんよ」

「それとな」

「はい?」

酒の瓶を脇によけ、薬草茶を淹れながら舎利が首を傾げる。

「言葉遣いも、崩してくれてよいぞ」

その言葉に、舎利は驚いたように朱夏をじっと見た。

「私は、きちんと金子を払った客ではないからな。取り繕わず、素のままの其方でいてくれればよい」

「それは……ちょっと難しいですねぇ」

「何故?」

差し出された薬草茶を口に含みながら、朱夏は尋ねた。

「素の自分を曝け出しては、お客さまを満足させられませんから」

「だが、私はその方が嬉しい。……我儘だろうか」

「……敵いませんねぇ」

茶器を卓に置き、舎利はくすくすと笑いだした。

「本っ当、迦陵姐さんが命を賭けたお人だけあるよ」

「琉兎は、何故私などに命を賭けてくれたのだろうな」

「はい?」

舎利の纏う空気が冷たくなった。だが、朱夏の自嘲は止まらない。

「琉兎の命は琉兎のものだ。私は、琉兎に何もしてやれなかったというのに」

「……」

「私が関わり、想いをかけた女は、皆不幸になるのだろうか……」

琉兎然り、煌姫然り。

妙葵の側にいるであろう春香とて、どうなっているかわからない。

「……まるで疫病神だな。不誠実な私に、罰が当たったのか」

苦しげに呟く朱夏の身を、ふわりと柔らかいものが包み込んだ。

「……舎利?」

「迦陵姐さんを貶めるんなら、許しちゃおけないと思ったんだけど。なんで貴方さまが、そんなに苦しそうな顔するんです」

「……」

隣に座る舎利が、朱夏を慰めるように抱きしめていた。花の香りの装束の広い袖が、朱夏の顔を世界から隠しているようだった。

「迦陵姐さんはね、貴方さまに出会えて幸せだったんだ。この櫻花楼での暮らしを耐えられるほどに。だから、そんなこと言わないでくださいましよ」

「私が……私は、不誠実で……煌という妻がいるのに、春香で欲を発散して。それでも心のどこかで、琉兎を求めていて……」

声を震わせる朱夏の背を、舎利の細い手がそっと撫でた。

「だから、琉兎は死んでしまって……っ。煌も……私の妻も、連れ去られてしまって……!」

帝となるこの身が、遊女の腕の中で涙を流すことなどできなかった。それでも、朱夏は言葉を止めることができない。

「私に関わらなければ、こんなことにはならなかったかもしれないのに」

「……」

「日嗣宮だ、帝一族だなどと持て囃されても、私はこんなにも……無力だ」

力なく呟く朱夏の頬に、柔らかい熱が触れた。驚きに目を瞠る朱夏に、舎利が涙の溜まった瞳を向ける。

「……舎利?」

「まったく、こんな弱々しい男のどこが、迦陵姐さんはよかったのかねぇ」

「えっ?」

再び、今度は額に唇を落とされて、朱夏は戸惑った。

「けど、放っておけないねぇ。あたしだって、妓女の端くれ。通ってくるお客に心を明け渡すことなんて断じてしないんだけど」

「舎利?」

「あたしは何だって、迦陵姐さんの真似をして育ったんだ。だからこうして、売れっ妓になることだってできた。けどねぇ」

紅を引いた唇でにっと笑みの形を作って、舎利は朱夏の耳元で囁いた。

「好きになる男まで、一緒でなくったっていいだろうに。あたしも、馬鹿だねぇ」

「……舎利」

「大切な大切な奥方がいるのはわかってる。取り戻すために、困難な道に進むのも。けど」

朱夏の頬を両手で挟み、舎利は自分に青灰色の瞳を向けさせた。

「今夜だけは、あたしだけの朱夏さまでいてくれないかい」

「それは……」

「拒否の言葉は要らないよ。朱夏さまは、心と体を休める。あたしは好きな男に抱いてもらう。それだけで、いいじゃないか」

朱夏の拒絶を封じ込めるように、舎利は自ら朱夏の唇に唇を押し当てた。

大好きな人としか口づけしないのだと言った、幼い琉兎の姿が脳裏に蘇った――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。