佰弐拾漆
ひんやりとした地下の一室に入り、木の台に四肢を拘束された黄駕の顔を朱夏は覗き込んだ。
虚ろな瞳はぼんやりと天井を見上げ、粗末な単はところどころ破れている。
「意識はあるのか?」
「まあ、時折浮上しますが。大体はうつらうつらと過ごしておられますよ」
凛慈の答えに、朱夏は黄駕の目の前で手を振ってみた。何の反応も返ってこないことに首を傾げ、凛慈を振り返る。
「会話は難しいか?」
「そうですねぇ。言葉を発することはありますが、意味のないことを口走る方が多いのです」
「外国との盟約について口にしたのだろう?」
妙葵の屋敷に踏み込む前に、本宮の門前でそう話していたはずだった。
「あれからさらに、禁断症状が進んでしまいましてね。もはや、己が誰だかもおわかりでないかもしれません」
「禁断症状……」
「薬で名を上げた旧家のご嫡男が、薬で身を滅ぼすとは思いもよりませんでしたでしょうね」
面白そうな口調に、朱夏よりも烏が苦い顔を浮かべた。
「お前……親王さまに、あまりそういった話を聞かせるな」
「烏、よい。知りたがったのは私だ」
「豪胆ですねぇ。そういうところが、気に入っておりますよ」
くすくす笑う凛慈から目を逸らし、朱夏は黄駕の耳元に口を近づけた。
「仙螺の黄駕。其方らの企みは潰え、私は帝となる。仙螺は取り潰しとなるだろうが、恨むならば愚かな己を恨むがよい」
それだけ囁き、朱夏は黄駕に背を向けた。目を丸くしている凛慈に構わず、地下の部屋を出る。
後ろをついて歩く凛慈が、不思議そうに声を掛けてきた。
「お祝いを、申し上げるべきですかな?」
「祝い?」
「世を遍く照らす帝になられる、と」
思わず足を止めた朱夏に、凛慈が続ける。
「お慶び申し上げるべきでしょう?」
「慶ばしいことではない。父上のご容態が落ち着かれぬし、私は妻を奪われた腑抜けだ」
「……救出は、間に合いませんでしたか」
再び歩き始めた朱夏の後を、烏と凛慈が並んで追う。
階段を上り、地下の薄暗い空気を抜け出してようやく、朱夏は息を吐き出した。
「私が帝となり、水軍を整備し、妻を追う」
何故か凛慈には何でも話してしまうと苦笑しながら、朱夏はきっぱりと告げた。仕事の早い輝山の大臣のことだ。どうせ明日になれば、国へと触れを出すのだろう。
「邪魔をして悪かったな。私はそろそろ本宮へ戻る」
「おや。重責を前にして、お心を休めにいらしたのでは?」
からかうような凛慈の口調に、朱夏は首を傾げた。
「宮中を離れ、私の心は軽くなったぞ?」
「舎利が、最上階の部屋でお待ちしておりますよ」
虚を突かれたように、朱夏の瞳が見開かれる。
「其方……私に、舎利を買えと?」
琉兎を恩人と言い切った、黄駕を捕らえるために苦心してくれた相手を?
眉を寄せる朱夏に困ったような視線を向けて、凛慈は両手を広げてみせた。
「多くのお大尽を手玉に取る彼女が、意中の相手を何もせずに返すなど、妓女の名折れ。助けると思って、寄ってやってくださいませんか」
「だが……」
「お代は頂戴しませんよ。至高の御位に就かれる貴方さまへの、私どもからの祝いです」
地下へ下りる階段とは反対側の階段を指し示しながら、凛慈が続ける。
「櫻花楼での夢のひとときを、どうか貴方さまにも味わっていただきたい。私どもは、お客さまの情報を外に漏らすことはございません。ほんの一時、その肩にかかる重圧を脇へ置いて、お心を慰めても誰も責めはしないと思います」
「……」
助けを求めるように烏に視線を向けた朱夏は、困ったような表情を浮かべる烏に首を傾げた。
「烏?」
「……吾は、その……親王さまのお心がお健やかに、穏やかになるのなら、その……」
「随分、歯切れの悪いことだな」
苦笑を浮かべ、舎利を抱くかどうかは別にしても、純粋な気遣いからの申し出をこれ以上断るのも大人げないと朱夏は思った。
一つ頷き、上へと続く階段へ足を踏み出す。
「最上階ということは、前に通されたあの部屋か?」
「ええ。あのお部屋は、しばらく貴方さまの専用に致しましょうか」
「それは他の客に悪いであろう。だが、心遣いには感謝する」
悪戯っぽく笑った凛慈に朱夏も軽口で答え、一段ずつゆっくりと上り始めた。




