佰弐拾伍
今上帝夏勢の執務室。
祖父である輝山の大臣と向い合わせに座り、朱夏は真っ直ぐに大臣を見つめた。
「さて、日嗣宮さま。お疲れのところ申し訳もございませぬが、早速首尾をお聞きしたく」
「其方に骨を折ってもらったというのに、済まぬ。煌のことも妙葵のことも、見つけられなかった」
悔しそうな表情を隠しもせず、朱夏ははっきりと告げた。途端に、大臣の眉が下がる。
「左様でございますか。大船の捜索中に、別の船が出航したとか?」
すでに報告自体は受けていたのだろう。確かめるような大臣の言葉に朱夏は頷いた。
「ああ。亜伊夜の国所有の船というものが、港に留まっているとは思いもしなかった」
「大陸に直接渡る大船ではなく、島々を巡って補給しながら進む船ということでしたが」
「そのようだ。私も、水運には詳しくないのでな。現場を指揮する湊刃の清津という者から、少し聞けただけだ」
難しい顔で腕を組んだ輝山の大臣は、考えながら言葉を続けた。
「我が国は、水軍は持っておりませんから、追撃するにしても準備に時がかかります」
「その間に、あの船は遠く離れて行くやもしれぬ、ということだな」
「そこで、日嗣宮さま。まずは貴方さまに、帝の御位にお就きいただきます」
「は……?」
唐突な言葉に、朱夏の瞳が丸くなる。
「大臣?」
「日嗣宮さまの御名で軍を厚くするのは、難しいと思われます。ですが、今上帝さまが思うように動けない今、そのご体調を理由に貴方さまが帝となられるしかございません」
「……」
思わず立ち上がりかけて、話を最後まで聞こうと朱夏は座り直した。
「帝となられ、四季の国の軍を編成し直し、亜伊夜の国との国交を復活させるのです。まどろっこしいと思わるやもしれませぬが、力ずくで取り返そうとなさっては、戦となるやもしれませぬ」
「強引に拐かしたのは、あちらだろう?」
朱夏の反論にも、輝山の大臣は冷静に答える。
「ですが、それは妙葵の独断でございましょう。亜伊夜の国が、国力を使って奪ったわけではない。そこへこちらが攻撃を仕掛けてしまっては、国同士の大戦となってしまいます」
「……」
「そうなれば、傷つくのは無辜の民です。朱夏さまが帝となられたその治世に、不穏な染みなど作るべきではありません」
朱夏の眉間に皺が寄る。夏勢帝の治世は安穏で、貧富の差はあっても民の大きな不満というものは聞いたことがなかった。戦となれば、民のための食糧や日用品の流通が滞る。兵役に駆り出される男手も増える。
そうなれば、民の不満の矛先は、宮廷引いては帝となった朱夏に向かう。
「夏勢帝さまの承認は、すぐに取れるでしょう。目を覚まされている時に事情をご説明し、朱墨で指の押印をいただければよいのです」
それは、朱夏も考えたことであった。仙螺を裁くためには、どうしても帝の許しがいる。
「仙螺のことも、妙葵のことも。帝となられて貴方さまが裁けばよろしい。そして、水軍を編成し亜伊夜の国へと向かわせるのです」
「水軍、か。これからは、湊刃の時代になるであろうか」
「それは、貴方さまの御心次第。湊刃を取り立てたいと思われるなら、そうなさればよろしいのです。これまでの働きに報いるために、地位を上げたということになさるのなら、反発も少ないやもしれません」
朱夏には考えもつかないことであった。
これまで四季の国の政を支えてきたのは、輝山家出身の左の大臣と、仙螺家出身の右の大臣であった。建国当初から、ほとんど変わらない帝の重臣である。
「いずれにせよ、仙螺の者をこのまま大臣の位に就けさせておくことはできません。ですが、帝の左右に立つ大臣は必要です。新たに湊刃の者を据えるならそれもよいでしょう」
「それは、そうなんだが……」
「考える時間は一晩しか差し上げられません。今宵は籠宮でお休みになって、明日の朝までには、ご決断いただきたい」
溜息を一つ漏らし、朱夏は祖父の瞳を見返した。
「わかった。今夜一晩、じっくり考えさせてもらう。煌を取り戻すためにも、父上にゆっくり養生していただくためにも、決断を急げということだな」
「それと、日嗣宮さま」
「うん?」
「帝となられたならば、これまでのように身軽に動き回れるとは思われませんよう。水軍の編成をなさっても、貴方さまご自身が外国へと渡ることは許容致しかねます」
今度こそ、朱夏は勢いよく立ち上がった。それでは、煌姫を己の手で取り返すことはできない。
だが、朱夏が反論する前に輝山の大臣が首を振った。
「冬廉親王さまが帝の御位に就く芽は潰えたのです。貴方さまの御身に何事か起きては、帝の御位を継げる御方はいなくなります。どれほど胸焦がそうとも、本宮にて構えていただかなくてはなりません」
「祖父上……」
「だからこそ、貴方さまが信頼できる者をきちんと、正しい地位にお就けなさいませ」
煌姫奪還に、朱夏の信用できる者を派遣しろと、輝山の大臣はそう言っているのだ。
それを理解し、朱夏は体の横で拳を握りしめたまま頷いた。
「……わかった」
懐から清津に預かった書状を取り出し、朱夏は卓の上に置いた。輝山の大臣の片眉が上がる。
「こちらは?」
「大港で、湊刃の清津から預かって参った。其方と、湊刃の当主に宛てた文だそうだ」
「成る程。では、お預かり致します。湊刃のご当主にも、私から渡しておきましょう」
「頼む」
短く答え、朱夏は緩慢な足取りで執務室を後にした。




