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四季帝(しきのみかど)、愛のゆくえ  作者: 紫月 京
四の章 失われたもの、奪われたもの

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佰弐拾参


海辺の蒸し暑い夜が明けた。

到底眠れないと思った朱夏だったが、烏の持参していた眠り薬と薬草茶の力を借りて、僅かな時であったが睡眠をとることができた。

重たい頭を振りながら、貸してもらった寝台から起き上がる。

「親王さま、簡素なものしかご用意できませんでしたが」

烏が差し出す干し飯を受け取り、朱夏はじっと視線を落とした。

「……食べたくない」

「昨夜も何も召し上がっておられません。このままでは、お体を損ないます」

「無力な体など、消えてしまっても構わ……」

「親王さま!」

ぱん、と烏が両手を打ち鳴らした。思わず、朱夏の視線が上がる。

「……烏?」

「気弱になられるのも、仕方のないことです。ですが、何とか手立てを講じて、煌姫さまをお救けしようとは思われないのですか」

「……」

旅路に用いられる竹筒に入れた水を、烏はさらに差し出した。

「成る程、此度は間に合わなかったやもしれません。四季の国から連れ出されてしまわれたやもしれません」

「……」

「ですが。恐ろしい思いをされているかもしれない奥方さまを、ご夫君であられる親王さまが、死に物狂いで救出しようと、何故思われませんか!」

普段声を荒げることのない烏の大音声に、朱夏は唇を噛んだ。手元の干し飯を見やる。

「食べて、しっかり体力を回復させて。そして、都に戻り輝山の大臣と相談なさり、煌姫さまをお救けしようという気概を、どうかお持ちください」

「……」

「吾がこれまで以上に、親王さまの手足となって働きましょう。夏の宮で貴方さまを待つ隠密たちも、きっとお役に立ちます。どうか、先ほどのようなことを仰せにならないでください」

烏が泣いているのではないかと朱夏は思った。そんな顔を見せるわけはないのに。

一度きつく目を閉じ、再び開いた朱夏は強い光をその瞳に宿していた。

「其方の、言う通りだな」

小さく呟いて、朱夏は干し飯を口に運んだ。

何の味も感じられないが、それでも、再び煌姫に会うためには体を弱らせるわけにはいかなかった。


二人のやり取りを黙って見ていた清津が、ふう、と息を漏らした。その気配に、朱夏の注意が向けられる。

「……其方は?」

口の中の糧食を飲み込み、水で喉を潤した朱夏がようやく口を開いた。

「湊刃の清津と申します。この港町の管理をしている者ですよ」

「……『親父っさん』か」

朱夏の言葉に、清津はくつくつ笑ってみせた。

「高貴な御方にそんな呼ばれ方をするのは、こそばゆいですわ」

「では、清津と呼ぼう。この寝台を貸してくれたのは、其方か?礼を言う」

頭を下げた朱夏を面白そうに見やって、清津が寝台に近づいてきた。

「いやあ……都の親王さまだっていうから、どんなお人かと思ったんですが。そこの兄さんが必死に守ろうとするのも、頷けますなぁ」

ちらりと烏に顔を向け、朱夏は深く頷いた。

「私には勿体ないほどの男だ」

「しっ、親王さまっ」

質素な木の椅子に腰掛け、清津は朱夏にも椅子を勧めた。

向かい合わせに座り、朱夏はもう一度頭を下げる。

「一晩、寝床を貸してもらえて助かった」

「ま、寝床と言ってもここは仮眠所ですからな。儂は儂で、町にある家で休んだのでお気になさることはありませんよ」

「それでも、だ。大船の出航を遅らせ、捕物で騒がせ、挙句逃がしたなどと口にしたくないほどの失態だ。さらに港で働く者たちに、休む場まで貸してもらうなど」

口惜しそうな朱夏の表情に、清津が笑みを深くして頷いた。

「成る程。まだお若く、お青いようだ。ですが、若い頃の失態など、年を取ってからいくらでも挽回できるもの。先ほどそこの従者どのが言っておったように、まずは体力の回復が一番ですぞ」

「……」

「儂らは海に生きる男ですからな。何よりもまず、体が資本だ。動けなくなっちゃあ、命に関わる」

うんうん、と頷きながら清津が片目を瞑ってみせた。

「舵取り一つ、櫂漕ぎ一つ。潮目を読むにも風を読むにも、体が動かせなきゃ何もできん。そして、大海原で立ち往生なんてことになっちゃあ、そのまま大波に攫われてお終いです」

「お終い……」

「ですからね。儂ら海の男は、どれだけ辛いことがあっても、ままならないことがあっても。飯を抜いたり、夜に眠らないなんてことはしちゃいけないんですよ」

真剣に、清津の語る言葉の一つ一つを、朱夏は黙って聞いた。初めて聞く、海に生きる者の話。これまで出会ったことのない、自然を相手に生きる者の言葉だった。

「さて。説教くさい話はこの辺にして。これから都に帰りなさるかね?」

「そのつもりだ。戻って、重臣たちとこれからのことを協議せねばならない」

「これからのこと?」

首を傾げた清津に、朱夏は唾を飲み込んで言葉を続ける。

「外国へ、船を出す準備をせねばならない」

「……」

「恥を忍んで打ち明けるのだが。……昨日出航を許してしまった亜伊夜の国の船には、私の元から攫われた妻が乗っていたかもしれない」

「っ、親王さまっ」

止めようとする烏を手で制し、朱夏は清津から目を逸らさなかった。

「妻を奪われた腰抜けのまま、帝の跡を継ぐわけにもいかぬ。追跡は困難を極めようが、必ず取り戻さねば」

きっぱり言い切った朱夏の青灰色の瞳を、清津はその琥珀色の瞳でじっと見据えていた。



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