佰拾捌
立ち上がったまま動けずにいる孫を沈痛な面持ちで見上げ、輝山の大臣が咳払いして武官に目を向けた。
「ここまで話を聞けばわかろうが、妙葵は重罪を犯したやもしれぬ。これより、妙葵の捕縛と煌姫さまの保護のため、兵を動かさねばならぬ」
姿勢を正した武官が、きつい眼差しで大臣の言葉の続きを待つ。
「其方は妙葵と親しかったであろうから、複雑な心持ちであろうが。捕縛のための兵に加わってもらえるか」
「私は、四季の国に忠誠を誓った者です。たとえ酒を酌み交わしていた相手といえど、罪を犯したのなら裁きを受けるべきです」
「そうか」
きっぱりと言い切った武官に軽く目を瞠った後、輝山の大臣は頷いて朱夏に視線を戻した。
「日嗣宮さま。これより、輝山の主導で兵を編成します。仙螺の者は除きますし、今上帝さまの守りがあるため近衛は外します」
「……」
「過去の記録を調べたところ、我が国から亜伊夜の国までは、直通の船はありません。一度大陸に渡り、砂漠と呼ばれる熱砂の地域を抜けた先に、亜伊夜の国はございます」
唇を噛みしめたままの朱夏に構わず、大臣は続ける。
「そこまで連れ去られてしまっては、我らには手が出せなくなります。何としても、港で捕らえなければ」
「……」
「妙葵を最後に見たという証言は、下働きの者から取れました。仙螺が夏の宮に火を放ったと思われる頃、細君への土産を買って帰ると、宮中を出ていくところを見た者がおります」
溜息を吐いた輝山の大臣が立ち上がり、朱夏の肩にそっと手を置いた。
「あれから、すでに十日以上過ぎております。ただ、外国へ渡る船はそう頻繁には出航致しません」
はっとしたように顔を上げた朱夏の瞳を、大臣が真っ直ぐに見つめる。
「まだ、間に合うと思われます。妙葵が船に乗る手配をしていたとしても、次の大陸行きの船が出るまでにはもう少し時があるのです。しっかりなさいませ」
「……祖父、上。船は、いつ……」
震える声の孫に、大臣が調べたことを説明していく。
「次の船は三日後です。ことがことですから、出航の取り止めまでは手配できませんでした。ですが、水運を管理する国の重臣に、少々融通してもらいました」
「融通?」
「船の出航を、遅らせてもらいました。あまり、褒められたことではありませんが」
片目を瞑ってみせた大臣に、ようやく、朱夏の表情が僅かに緩んだ。それを確かめ、大臣が頷く。
「済まぬ、輝山の大臣。取り乱した」
常通りの静かな声に戻った朱夏に、大臣は安堵の笑みを浮かべた。
「港まで、馬で駆けても一日半はかかります。今夜の内に出立なさるならば、支度をお急ぎなさいませんと」
大陸渡りの船が出航するような大きな港は、都から西へ馬で駆けた先にあった。
「私は荒事には向きませんから、仙螺への裁きの場を整えてお待ちしております。本当ならば、日嗣宮さまにも宮中に留まっていただきたいのですが」
「私は、妻を助けに行く。己が妻一人救えずして、何が日嗣宮か」
強い意志を宿した瞳に、大臣もそれ以上は何も言わなかった。
輝山の大臣の署名がなされた書状を手に、武官が執務室を出ていった。妙葵の捕縛と煌姫の保護のための兵団が、じきに組まれるだろう。この部屋で話された内容を、おいそれと他者に漏らさないようにとの念書に署名をさせることも、輝山の大臣は忘れなかった。
煌姫が拐かされたことを、あまり多くの者に知られたくはないのだ。
深く溜息を吐いた朱夏は、取り残されておろおろしている洗濯女に目を向けた。
朱夏に見つめられて、洗濯女の顔色がさらに青くなる。一歩、朱夏の足が彼女に近寄った。
「あ、あの……」
うろうろと視線を彷徨わせる洗濯女の目の前で、朱夏の足はようやく止まった。
「妙葵の言葉を、もう一度教えてくれぬか」
高貴な親王に直接声を掛けられて、洗濯女は戸惑った。これは、この場で額づくべきなのか。
成り行きを見守っていたらしい輝山の大臣が、咳払いして朱夏の注意を引いた。
「日嗣宮さま。その者はそろそろ仕事に戻らねばなりませぬ。聞いた話ならば私がお聞かせ致しますから……」
「寝所で、日嗣宮も今上帝と同じように振る舞うのか、であったか。どんな顔で、そう呟いていた?春香の名を口にした時は?」
「……っ」
息つく間もなく問いかける朱夏の様子に、洗濯女は戸惑って口を噤む。小姓への指示を終えた大臣が、ゆったりと歩み寄ってきた。朱夏の肩に、そっと手が置かれる。
「親王さま、朱夏さま。あまり、下の者を困らせるものではありませんぞ」
だらり、と力なく腕を下げた朱夏が、洗濯女から大臣へと視線を移した。
「大臣……」
「さあ。港での捕縛の兵に混じるおつもりならば、貴方さまもお早く支度なさらなければ」
「……うん」
唇を噛みしめ、朱夏はもう一度だけ洗濯女に目を向けた。
「済まぬ。貴重な話を聞かせてくれて、礼を言う」
「っい、いいえっ!あたしなんかで、お役に立てたんなら、その……よかったです」
「では、大臣。私は装備を整える。そちらの用意は任せたぞ」
「御意」
深く頭を下げた輝山の大臣に背を向け、朱夏は執務室を後にした。
胸の内を、荒れ狂う嵐のような風が吹いているような心持ちだった。




