佰拾漆
籠宮の一室で、一晩ゆっくりと眠った朱夏は聞こえてきた物音に目を覚ました。
煌姫の身が案じられ、父帝の容態も仙螺への裁きも、輝山の大臣の聞き取りも何もかもが気にかかり、到底眠れるとは思えなかった。
だが、父の寝顔を確認し、烏の淹れた薬草茶で体を温め身を横たえると、目を閉じるのと同時に意識を手放していた。
「親王さま、お目覚めですか」
扉を開けて烏が入ってくる。ゆっくりと身を起こし、朱夏は軽く頭を振った。
「ああ。随分頭がはっきりしている」
「ようございました」
微笑む烏から手水の盥を差し出され、朱夏は固く絞った手巾で顔を拭う。ついでに、汗で湿った寝着も脱ぎ体を拭いた。
新たな装束に袖を通して、朱夏はふうと息を吐いた。
「朝餉が終わりましたら、執務室へお越しくださいと、輝山の大臣より言伝でございます」
「そうか。呑気に寝ている場合ではなかったな」
「いえ、大臣の仰せだったように、お体を休めることも必要でした」
与えられた部屋を出て、すぐ近くの父帝の寝所へと向かう。朝餉の前に、父の顔を見ておきたかった。
「何か掴めたのであろうか」
「吾も詳しくはわかりかねます」
答えを期待していたわけではなかった。烏は、ずっと朱夏の側近くに控えていたのだから。
「夏の宮はどうなっているだろうか」
「昨夜、親王さまがお休みになられた後で、確かめて参りました。輝山の大臣の差配で、焼けた宮の復興が始められております」
「そうか」
何から何まで、輝山の大臣に頼りきりである。櫻花楼では、凛慈と舎利に頼りっぱなしだった。
だが、下は向かないと決めたのだ。朱夏は真っ直ぐに顔を上げて父の寝所へと向かった。
安らかな呼吸で眠る父の姿にひとまず安堵し、朝餉を終えた朱夏は大臣の待つ帝の執務室へと入った。
「待たせたな、輝山の大臣」
「おはようございます、日嗣宮さま」
「うん。おはよう」
朝の挨拶をする大臣の隣に、見知らぬ武官と下働きらしい女が立っていた。
「この二人から聞いた話を、日嗣宮さまにもお聞かせしたいと思います」
「武官と……誰だ?」
首を傾げた朱夏に、輝山の大臣が苦笑する。下働きの人間の顔を、帝の親王が一人一人覚えているわけはなかった。普段、朱夏の前には顔を出さない身分なのだ。
「これは、籠宮での洗濯を担当していた者です」
「洗濯……」
「今上帝さまのご寝所や、第六室さまのお部屋の敷布などを洗濯する者です」
朱夏に視線を向けられ、洗濯女が萎縮したように身を震わせる。
「ここに控えているということは、有益な話を聞かせてくれたということだな?」
大臣に勧められて椅子に腰を下ろしながら、朱夏は尋ねた。
「ええ。それと、こちらの武官は妙葵とつき合いがあった者です。時折、町に飲みに行く仲であったようです」
「妙葵と酒を……?想像できぬ姿だな」
朱夏の向かいに座った輝山の大臣も、深く頷いた。そして、昨日二人から聞き取った話を、改めて朱夏に聞かせる。
武官から出た亜伊夜の国という言葉と、洗濯女が聞いた妙葵の呟き。
これは、煌姫の行方を探る手がかりになるのだろうか。妙葵の屋敷で見つけたあの書状は、亜伊夜の国と何か密約を交わした際のものなのか。
考え込む朱夏の向かいで、輝山の大臣が重々しく口を開いた。
「我が国は、現在亜伊夜の国とは交流しておりません。あちらは、何と言いますか……奔放なお国柄でして」
「私も、幼い頃の勉学で、軽く名を聞いた程度だな。……奔放?」
首を傾げた朱夏に、大臣は言葉に詰まったように口を噤んだ。
「大臣?」
「その……我が国では考えられぬことですが。高貴な方々も民たちも、こう……大きく開いて肌の見える装束を身に着けており、民に至っては……裸と言っても差し支えないような姿で、町を歩くのだとか」
大臣の説明に朱夏は目を見開いた。確かに、四季の国では考えられないような風習だ。
「それに、その……閨事に関しても、明け透けと申しましょうか……秘め事という感覚がないようです」
「それは、また……」
「亜伊夜の国で好まれるような品々は、我が国ではあまり必要とされないこともあり。先々代の頃でしたか。積極的に交易することはやめにしたのでございます」
「そんな国に、妙葵が……」
春香を連れて、煌姫を手土産に、そんな国に行こうとしていたのか。
朱夏の内で、妙葵の印象とさっぱり結びつかなかった。大臣が、さらに何事か言いかけて、言い淀む。
「何だ?」
「昨夜の内に、書庫を調べ回りましたが。亜伊夜の国では、女人は幼ければ幼いほどよい、という記載がございました」
「……っ」
青灰色の瞳を驚愕に見開いた朱夏に、大臣が難しい顔を見せる。
「高貴な方々は、女人が幼い内に囲い込み、その……閨に引き込むのが、一種の伝統と言いますか。己の高位さを示す、装飾品扱いと申しますか」
最後まで聞いていられなかった。
音を立てて立ち上がった朱夏の顔は、蒼白となっていた――。




