拾
きっちり単を着込んだ琉兎を、烏が待つ入口とは別の抜け道へと誘う。
見咎められれば、琉兎は夏の宮から追い出されてしまうかもしれない。
素直に後ろをついてくる琉兎に、朱夏は先ほどまでの動揺を悟られないように平静な声を掛けた。
「この小径を抜ければ、宮の裏手に出る。烏が控えているのとは別の方角だから、見つからないだろう」
「見つかっては、しかられる?」
「禁域だと言ったろう?勝手に入ったことが知れれば、罰を受けるかもしれない」
木々の隙間から、夏の宮の建物が見えてきた。足を止め、琉兎を振り返る。
「罰……むちで打たれたりする?」
「鞭?」
琉兎の口から飛び出た言葉に目を瞠った。
「それとも、ご飯もらえずに閉じ込められる?」
それが当然のことというように琉兎が話す内容に、朱夏は混乱を覚えた。琉兎の生きてきた、日常の風景なのだろうか。この四季の国に、そんな世界が存在するのか?
「水責めは、わたしはされたことないけど。お姐さんたちが、せっかんを受けてたのは見たことある」
「お姐さん……せっかん……折檻!?」
首を傾げ、歌うように琉兎が続ける。
「わたしがいたところは、お姐さんたちが、男の人に愛されるところ」
「愛される……」
鸚鵡返しに呟くしかできない己が情けなかった。
「わたしも、もうすぐお勤めをするんだって、小父さんが言ってた」
思わず琉兎の両肩に手を乗せていた。
「其方、一体どこでどんな暮らしを……」
「親王さま?」
掛けられた訝しげな声に朱夏の肩が跳ねた。恐る恐る、背後に視線を向ける。
夏の宮に仕えている侍女が、腰に手を当てて仁王立ちしていた。その顔が琉兎に向けられ、眦が吊り上がる。
「り、莉羅」
「禁域の林で、そのような薄汚い者と、何をしておいでですか!?」
ずんずんとこちらへ近づき、林の手前で莉羅の足が止まった。
「お前もっ!さっさと親王さまから離れなさい!」
今にも琉兎を叩くのではないかという形相で、莉羅が叫んだ。琉兎の肩が強張ったのが、手を置いたままの朱夏にも伝わった。
「莉羅。そのように大声を出すな。彼女が怯えるだろう」
「何故、そんな者を庇われますか!尊き御身のお側に、置くべきではありませんっ」
「其方が忠実に私に仕えているのはわかっている。だが、この者は私が連れ帰った話相手だ。口を出すな」
「な……」
昨夜烏と打ち合わせていた話相手という言い訳を、思わず口にしてしまった朱夏だが、後悔はなかった。
琉兎が不思議そうに朱夏の瞳を覗き込んだ。
「話相手?」
「ああ。この宮には私と年の近い者がいない。だから、其方が私の相手をしてくれると嬉しいと思う」
「親王さまっ!」
金切り声が聞こえたのか、離れた場所に控えていたはずの烏が駆け寄ってきた。木の陰になって見えなかったはずの琉兎の姿を目にし、一瞬烏の動きが止まる。
「これは……何の騒ぎです?」
烏の黒い瞳が、莉羅に向けられた。わなわなと唇を震わせて、年若い侍女が烏に言い募る。
「親王さまがっ!あのような小汚い小娘を、お話相手にとっ!」
驚いたように目を見開き、烏が朱夏を見やった。その視線に頷き、朱夏は口を開く。
「烏。しばらく莉羅の相手を任せる。騒がしくて、少しも話が進まぬ」
莉羅は悪い娘ではない。ただ、己の仕える高貴な親王に、得体の知れぬ娘が近づくのが我慢ならないだけだ。
それがわかっていた烏は、宥めるように侍女に声を掛けた。
「侍女どの。親王さまには親王さまのお考えがございましょう。吾がきちんと護衛として控えておりますので、心配されることはありませんよ」
「でも……っ」
「朝のお支度の最中でしょう?早く戻らねば、侍女長どのに叱られますよ」
悔しそうに唇を噛んだ莉羅は、射殺すような瞳を琉兎に向けた後で、深々と頭を下げて去っていった。
ふう、と息を吐き出し、朱夏は琉兎に向き直る。
「驚かせたな。すまぬ」
その言葉に首を振り、琉兎が口を開いた。
「わたしのお勤め、あなたにするの?」
「は……?」
「小父さんは、たくさんお金を払った人にって、言ってたけど。あなたがその、お相手?」
「何を……」
戸惑う朱夏の後ろから、烏の咳払いが聞こえた。
「烏?」
「そのお話は、後ほどまた。まずは宮に戻りましょう」
「そう、だな」
ようやく琉兎の肩から手を離し、朱夏は林から一歩足を踏み出した。もう、禊どころではない。
「琉兎。其方もともに来い。朝餉の用意ができている頃だろう」
「ご飯?昨日たくさん食べたわ」
「ここでは、きちんと日に三度、食事が出る。親王さまの仰せに従っておけ」
琉兎の呟きの意味を掴みかねていた朱夏は、烏の言葉に驚きを隠せなかった。
「これまでは、日に三度の食事ではなかったのか?」
「親王さま、それも後でお話致しましょう。このままでは、刻限に遅れます」
朝餉を早々と済ませて、従妹姫の元へ赴く支度に掛からなければならなかった。
烏の言葉に頷き、朱夏は二人を伴って足早に歩きだした。




