佰拾参
妙葵の屋敷は人の気配が少なく、建物もそれほど広くはなかった。
実直な性質を表すように、調度品も少なく贅沢な暮らしをしている雰囲気もない。
まずは主人の書斎だという部屋に案内された朱夏は、妙葵が普段使っているらしい机を検め始めた。
几帳面な文字で書きかけの文が広げられている。
「これは……嘆願状、か?」
小さく呟き、書面を手に取ってみた。
「『――以上のことから、輝山の大臣は不当に捕らえられたものであり、即時解放を求める』
……帳簿と目録が冬の宮にあることを掴んでいたのなら、何故私に知らせなかったのか」
いや、と朱夏は思い直す。そもそも、妙葵が冬の宮に忍び込めたとは思えなかった。体を鍛えている武官でもなく、隠密のように影に潜んで物事を探れるわけでもない。
「だとすると……」
朱夏は机の抽斗を開けた。初めから、冬の宮に証拠が隠されていると知っていたのではないか。
使用人の老婆が言っていた、外国との交易というのも気にかかる。輝山家に外国との繋がりがまったくないとは言わないが、外交を担っていたのは仙螺家なのだ。妙葵個人が、いずれかの国と何か契約を交わしていたのか。
「親王さま」
他の部屋の調査に当たらせていた烏が静かに入ってきた。後ろから、凛慈も続く。
「そちらはどうだ」
眉間に皺を寄せて烏が首を振った。
「仙螺との繋がりを示すようなものは、何もありません」
「そうか」
すべての抽斗を開き、朱夏は溜息を吐いて顔を上げた。
「先ほどの老婆から、話を聞けるだろうか」
「そちらは、私から」
軽く手を上げた凛慈に視線を向け、朱夏は頷いた。
「日嗣宮さまがこちらを検めておいでの間に、少しだけ探れました。この屋敷の主人は、細君を迎えてから人が変わられたようだったと」
凛慈の言葉に朱夏の眉が上がる。
「人が変わった?」
「それまで、どこかおどおどと、相手の顔色を窺うような性質だったのが、何かに自信をつけて胸を張って屋敷内を歩くようになった、と」
「自信……」
顎に手を当てる朱夏に、凛慈がさらに続ける。
「これからは、時代が変わる。私も、高い位に就いて見返してやる、と息巻いていたそうです」
「……どういう意味か」
時代が変わるとは、帝の代替わりの際に使われる言葉だ。それに、見返すとは誰のことを言っていたのか。
答えの出ない疑問に、朱夏の表情はますます曇った。気遣わしげな烏の視線にも、応える余裕がない。
「こちらのお部屋からは、何も見つかりませんでしたか」
凛慈の言葉に顔を上げ、朱夏は困ったように頷いた。
「特に変わったものはないな。仕事を屋敷に持ち帰るような男ではなかったから、余計なものは見当たらない」
「少し、拝見しても?」
朱夏は机の前から体をずらし、凛慈に場所を空けた。
朱色の袍の袂から、凛慈が何かを取り出す。首を傾げる朱夏に、烏がそっと囁いた。
「あれは、隠密もたまに使う道具です」
「どういったものだ?」
「隠し金庫や隠し部屋を探す際に使います。あの、錐の尖った先端で外側を剥がします」
烏の説明と同時に、凛慈が手にした道具で抽斗の底を刺した。軽く握った拳で、叩いたり引っ張ったりしている。
「凛慈?」
「……空洞ですね」
「空洞?」
思わず、朱夏は凛慈の手元を覗き込んだ。先ほどまで見ていた、何も入っていない抽斗。
「二重底、ということか?」
「お偉いさまは、秘密をこうして隠していることが多いのですよ」
小さく笑った凛慈が、錐の先を回転させるように動かした。
しばらく右に左にと動かしていた道具の先で、かたり、と小さな音が響いた。凛慈の瞳が朱夏を捉える。
「開きそうですよ」
「頼む」
短く告げた朱夏に頷き、凛慈は底に刺した錐を思い切り回した。抽斗の底板が、僅かにずれる。
錐を抜いた凛慈が、慎重に底板を外した。中から現れたのは、「秘」と書かれた封書だった。
「……何とも、わかりすく書いたものだな。罠か?」
首をひねる朱夏に、凛慈が苦笑して錐を袂にしまった。
「策を弄する。相手の裏を掻く。そういったことが、苦手な性分の方なのでは?」
朱夏の脳裏に、顔色を悪くした妙葵の姿が浮かぶ。ひょろりと背の高い、こちらの様子を常に窺っているような生真面目な文官。
頭を振って、朱夏は二重底から出てきた書状を手に取った。
「親王さま、お気をつけて」
「剃刀など仕込まれてはおるまいが……開けるぞ」
ぱらり、と開いた書面に目を走らせていた朱夏の瞳が、驚愕に見開かれた。
「なん……だ、これは」
だらりと腕を下げた朱夏の手から、隠されていた書状が床に落ちた。不審に思いつつも、烏が拾って読み上げる。
「……『四季の国の高貴なる姫君を、貴国に差し出す代わりに、我が身を貴国の重臣に。我が妻とともに、貴国の庇護下に入りたく』……これ、は」
ぶるぶると、書状を持つ烏の手が震えだした。




