佰捌
輝山家の当主であり、帝の左の大臣を務める祖父を朱夏は貴人牢からようやく解き放った。
入れ替わりに、仙螺の大臣が貴人牢へと入れられる。仙螺から貴人牢へ移されたのは、当主である大臣だけである。
そのことを疑問に思ったらしい輝山の大臣が、気遣わしげな表情で朱夏に尋ねた。
「仙螺のご嫡男と、第二室さまはいかがなさいましたか」
縄を打たれていたわけではなく、貴人牢で最低限の世話をされていた大臣ではあるが、少し窶れたようだ。
朱夏は小さく苦笑して、輝山の大臣を表宮の一室に休ませた。
「嫡男は、深く恨みを買っていたのでな。私刑はあまり褒められたことではないが、私に手を貸してくれた者たちにその身柄を預けてある」
「私刑、でございますか」
「殺さぬように言い含めてあるし、加減を知らぬ者ではないから案ずることはないだろう。第二室どのは……服毒された」
朱夏の端的な言葉に、大臣の瞳が見開かれる。
「それ、は……」
「すぐに薬師が水で臓腑を洗浄していたが、生き残るかどうかはわからぬ」
「左様でございますか」
静かに答えた輝山の大臣が、小姓に温かな茶を淹れさせた。向かいに座った朱夏は祖父を正面から見据える。
「それで、輝山の大臣。早速ではあるが、聞きたいことが二つほどある」
「二つ、でございますか」
居住まいを正した大臣に、朱夏は夏の宮で捕縛された時のことを話して聞かせた。
「帝一族への捕縛は、両大臣の署名の入った書状が必要だ。仙螺の黄駕は、その書状を盾に私に縄を打った」
「な……っ」
目を見開いた祖父に構わず、朱夏は続ける。
「残念ながら、黄駕は私に署名を見せはしなかった。だが、本物だと笑っていた」
朱夏の説明に、輝山の大臣はゆるゆると頭を振った。
「勿論、私はそのような署名をしてはおりませぬ。ですが、仙螺のご嫡男がそこまで自信たっぷりに言い切ったのなら、よほど筆跡を真似るのが上手い者を使ったのでしょう」
朱夏は頷き、さらに尋ねた。
「そこで、二つ目の質問だが。妙葵の居場所を教えてもらいたい」
朱夏の問いに、輝山の大臣は腕を組んで天井を仰ぎ見た。
「妙葵でございますか。何故……」
「あの者は、その手跡の美しさを見込まれて、文官への道を進んだと聞いたことがある。他者の筆跡を真似ることなど、容易いことだったのではないか?」
難しい表情を浮かべた輝山の大臣は、何かを思い出したように一つ頷いた。
「私が貴人牢に入れられてすぐに、一度顔を見せたのですが」
「一人であったか?」
輝山の大臣が貴人牢に入れられたのは、朱夏が火をつけられた夏の宮に戻っている間のことだ。仙螺が捏造した証拠により、国庫の着服の疑いがかけられていた。
「私の無実を証明するために、仙螺に忍び込む、というようなことを申しておりましたな。なよやかなあの者には難しいと思い、止めたのですが」
「仙螺に忍び込む、か」
眉を顰めた朱夏に、輝山の大臣が言いにくそうに口を開く。
「その……妙葵をお選びになったのは、今上帝さまでございましたな」
春香の下賜先として、忠義に厚い輝山の者ならば信用できると、夏勢帝が直々に選んだ。
「態度も真面目で、性格も温厚。国への謀反など考えもしないような男だからな。私の信が厚いとなれば、文官として最高位に上ることも夢ではなかったと思うが……」
「最後にお会いになられたのは、いつですか」
「宝物殿の目録が当代のものではないと気づいた時だな。仙螺の嫌がらせだと思い、私の手で入れ替えを済ませればよいと思って、妙葵には特に何も命じてはいなかった」
朱夏の言葉に重々しく頷き、輝山の大臣は組んでいた腕を解いた。
「そもそも、目録の差し替えを行ったことすら、妙葵の仕業だったのでは?日嗣宮さまの補佐として働いていたのですから、機会はあったでしょう」
「だが、何故だ?」
あの文官から恨みを買う覚えも、仙螺の謀反に与する決意をさせる心当たりも、朱夏にはなかった。
「ここでこうして、二人で考えていても答えは出ませんな。今上帝さまがご回復なさっていない今、権限は貴方さまがお持ちです。妙葵の屋敷に踏み込む手筈を整えましょう」
「妙葵の屋敷は、都の外れに近かったな?」
「ええ。日嗣宮さまから侍女どのを下賜された際に、宮廷へ近いところへ移るように提案したのですが、断られました」
茶を一口飲んで、朱夏は立ち上がった。
「踏み込むための書状は任せる。臣下に対するものだから、輝山の大臣の署名だけでよかろう」
今すぐにでも、踏み込んでしまいたかった。そこに確かに煌姫が無事にいるのだと、朱夏は今すぐ安堵したかった。
だが、正式な手続きも踏まずに立ち入ることは、権力を私欲に使うことと同義だ。攫われた妻が真実その屋敷に囚われているかもわからない段階で、迂闊なことはできなかった。
唇を噛む孫をじっと見上げて、輝山の大臣が安心させるように微笑んでみせた。
「きっと、姫君はご無事でおられますよ。ですから、あまり思い詰めず、日嗣宮さまは日嗣宮さまのなさるべきことを」
「……そうだな。仙螺の罪状をはっきりさせ、宮中に知らしめねば。父上のご回復を待って、裁きを行う」
「はい。第二室さまへも、罪を問わねばなりませんな」
朱夏は頷き、一度父帝の容態を確かめるために、籠宮に立ち寄ることにした。
奥宮では、薬師たちが蓮黄を治療している。彩里はすでに、地下牢へと入れた。
夏勢帝の玉体は籠宮の居室へと、朱夏の指示で移されていた。




