佰漆
ばたばたと足音を響かせて、奥宮に詰める薬師が蓮黄の私室へと駆け込んでくる。
床でもがく彩里を跨いで朱夏も寝台へと駆け寄った。
烏の手から薬師へと移された蓮黄の体は、小刻みに痙攣している。見習いの薬師たちが、武官の運んできた簡易の寝台の上に蓮黄の体を横たえた。
「どうだ?」
老年の薬師が、蓮黄の容態を診ながら難しい表情を浮かべた。ゆるゆると首を振る。
「仙螺の秘薬は、我らには秘匿されていますから。解毒できるかはわかりませぬ」
「それでも何とか、命を繋げてほしい。罪を認め、裁きを受けてもらわなくては」
冬廉のためにも。その言葉を、朱夏は飲み込んだ。こうして政争の渦中にいるというのに、弟を思いやるような言葉は綺麗事だと思った。
「父上のご容態はどうだ?」
奥宮の筆頭薬師が、寝台に再び横にさせた夏勢帝を診察していた。そちらへ、朱夏も歩み寄る。
「毒を受けられてから、日が経っておりますから、何とも……」
「意識はあるのか?」
夏勢帝の瞼を持ち上げ、瞳孔に光を当てる薬師へ朱夏は問いかけた。
「目の内に濁りが見られます。未知の毒ですが、似た症状から推測することはできます」
「どういったものだ?」
夏勢帝の手首を取って脈を測った薬師が、そっと掛布を大きな体に掛けてやり朱夏に向き直った。
「お命を散らすようなものではない、と思われます」
その言葉に、朱夏はほっと安堵の息を漏らした。
「ですが、お体を自由に動かすことが、難しくなるかもしれませぬ」
「それは……」
「麻痺毒、とでも言いましょうか。古来より用いられる薬ではありますが、仙螺独自の調合がなされているため毒性の強さを測りかねます」
朱夏は鋭い視線を彩里に向けた。蓮黄の腹心が、毒の正体を知らないとは思えなかった。
「烏、その女から聞き出せるか」
「やってはみますが……殺しては駄目ですよね」
「煌の居場所も聞き出さねばならないからな。多少痛めつけるだけにしておいてくれ」
烏に命じてから、朱夏は父の顔を見下ろした。額にそっと、手を置いてみる。
「熱が高いのか」
「まずはこちらの煎じ薬で、その高熱を下げます。あらゆる解毒も試しますので、しばらくご猶予を」
薬師に頷いた朱夏は、蓮黄を診ている薬師に近づいた。
「そちらはどうだ」
「ひとまず腹の内を水で洗浄致しましたが……毒を吐き出す様子がなく」
「意識は戻るか」
朱夏の問いに、薬師が眉間に皺を寄せた。
「わかりませぬ」
溜息を零した朱夏は、もう一度死なせないように尽力を頼んで烏の元へと移動した。
彩里の腹を足裏で踏みつけ、烏が表情を消していた。
「烏、どうだ」
朱夏に声を掛けられ、烏がちらりと視線を寄越す。
「口に突っ込んでいる紙面は、外しても?」
「ひとまずそれしか手元になかったからな。舌を噛んだり毒を含んだりしないのなら、構わない」
小さく頷き、烏が彩里の口から慎重に書状を取り出した。
「訊かれたことに答えろよ。自害など、許すと思うな」
彩里の顎を強く掴んだ烏が、漆黒の瞳でじっと睨めつけた。
「……っ、わたくしっ、は……何も……っ」
「……仙螺の者は、往生際が悪いな」
黄駕しかり、蓮黄しかり。
こうして捕縛され、素直に話すしかなくなってもなお、何故抗うのか。朱夏の胸に浮かんだ疑問に、烏が冷笑で答えた。
「まだ、何とかなると思っているのでしょう。素直に吐こうが、吐くまいが、末路は変わらないというのに」
「そうだな。正直に話せば、楽に死なせてもらえるやもしれぬのにな」
朱夏の返事に、彩里の瞳が見開かれた。血走った目で、烏に押さえられて動けない顔を朱夏に向けようとする。
「さて。冷静に見えて私も余裕がなくてな。……煌はどこだ?」
「……っ」
「烏。指を切り落とせるか?」
「ひっ!」
静かな声に、彩里が身動ぐ。だが、烏の膂力で押さえつけられているため、思うように動けるはずもなかった。
「帝一族の血を引く、高貴な姫君を拐かしたのだから、指を切られるくらいで済むとは思わない方がいい」
「か……っ、拐かしてなどっ」
「だが、冬の宮から連れ出したのは其方だろう?あちらの侍女が、そう証言したぞ。第二室どのの慰めに、とな」
ぶんぶん、と頭を大きく振り、彩里は涎を垂らしながら必死に言葉を紡いだ。
「わたっ、わたくしはっ!指示された場所にっ、お連れしただけでっ」
「指示?誰に、何の指示を受けた?」
「せっ、仙螺の、重臣になられた、方にっ!」
首をひねり、朱夏は一歩彩里に近づいた。その場でしゃがみ、烏の掴む顔を上から冷たく覗き込む。
「偽りは申すなよ?」
「まっ、まことに……あっ、新たな時代のっ、仙螺をもり立てるとっ」
「その、重臣とは、誰のことだ?」
恐怖からかぶるぶると全身を震わせる彩里に、烏が思い出したように声を掛けた。
「ああ。そう言えば、お前は第二室さまにどこかへの輿入れを願っていたな?」
びくり、と彩里の肩が跳ねた。
「褒美をいただくために、第六室さまに毒を与えたのも、お前だろう?」
「っ!」
ぶわり、と朱夏の全身から冷気が漏れ出た。背筋が凍るような心地に、彩里の体がさらに震える。
「そうか。其方の身柄も、花たちに与えてやった方がいいか」
「……っ、は、花……?」
「第六室どのを慕っていた、大勢の女たちだ。素晴らしい制裁を加えてくれるだろうな」
身動きできず、芋虫のように這う彩里に、朱夏は冷たく尋ねた。
「それが嫌なら、素直に答えろ。煌を、どこへ連れ去った?」
「あ……あの、た……」
「た?」
首を傾げた朱夏の耳に、信じられない名が聞こえた。
「妙葵、さまに……!」
――輝山の妙葵。
朱夏が春香を下賜した、宝物殿の管理を補佐するひょろりとした青年文官の姿が朱夏の脳裏に蘇った。




