佰陸
目に飛び込んできたのは、寝台に座らされた父を囲む二人の女の姿だった。
第二室蓮黄が父帝の背を支えて手に筆を持たせ、侍女がその筆に墨をつけようとしていた。
室内をざっと見回し、朱夏は険しい表情で二人に迫る。
「第二室どの、ならびに侍女彩里。今上帝への投毒と、仙螺の謀反の首謀者として、日嗣宮の名の下に拘束する」
きっぱりと告げた朱夏に、蓮黄は目を丸くしてみせた。夏勢帝の背に手を当てたまま、ふんわりと微笑む。
「まあ。男子禁制のこの奥宮で、朱夏親王さまは何を仰せなのかしら。この宮に立ち入るお許しを、今上さまから得ていらして?」
「許しは後からいただく。今上帝の御身が危うい今、しきたりに従っていては取り返しのつかないこととなろう」
一歩踏み出した朱夏に、彩里が寝台の側を離れ蓮黄を庇う位置に回った。だが、その顔にも笑みが浮かんでいる。
「第二室どの付きの侍女、彩里だな。其方には、第六室どのへの投毒の疑いがかかっている」
烏が表宮で、蓮黄の軟禁部屋の天井裏に忍んで探った情報だ。はっきりと言葉にして語っていたわけではない。今この場で、自白させたかった。
朱夏の追求に、彩里は手を口に当てて驚いた表情を作る。
「そのような世迷言を。朱夏親王さまは、お心を病んでしまわれたのでしょうか。そのような方に、日嗣宮の御位は荷が重すぎるのではございませんか?」
「……」
「夢と現の別がつかないようでは、国を治めることなどできますまい。やはりここは、今上帝さまにご判断いただきませんと」
ちらり、と彩里が蓮黄に視線を送り、頷いた蓮黄が帝の指を動かそうとする。
「烏っ」
鋭く名を呼ばれ、烏が扉側から一気に寝台まで距離を詰める。あと一歩で蓮黄に触れるというところまで近づいた瞬間、緋扇が投げつけられた。
「無礼者っ」
躱した烏の肩に当たった緋扇が、ゆっくりと床に落ちた。何が仕込まれているかわかったものではない。烏は落ちた緋扇を爪先で己から遠ざけた。視線を蓮黄に戻す。
いつの間に取り出したのか、蓮黄の手に護身用の懐剣が握られていた。刃先が、夏勢帝の首筋に当てられる。
「第二室さま……」
「お前は、朱夏親王さまの側近ね?主の命に従うのはいいけれど、わたくしに近寄ろうなどと、不敬ですよ」
「……」
隙なく身構えたまま、烏は背後の主君を窺う。高貴な女人相手に、敵を斬るような武器を向けるわけにもいかない。どう身柄を押さえるか。
朱夏が静かな声を出す。
「第二室どの。其方の父君は捕らえられ、兄君も身柄を押さえられている。これ以上は無様だぞ」
「……何を、仰せなのかしら」
先ほどと同じ台詞を、蓮黄は歌うような口調で囁いた。首を傾げ、ふふっと笑ってみせる。
「まだお若い朱夏親王さまにはおわかりではないかしらね。これは、わたくしと今上さまの愛の試練なのです」
「何を……」
眉を上げた朱夏の様子を気にするでもなく、蓮黄が続ける。
「わたくしが、夏勢さまとの愛の証に産んだ冬廉が、日嗣宮の御位に就くのがあるべき姿でしょう?ですからね、貴方さまが日嗣宮とされたことは今上さまの過ちなの」
夏勢帝の首に刃先を当てたまま、蓮黄はじっと朱夏を見つめた。
「あんな遊郭上がりの女など、わたくしの身体を気遣ってくださった今上さまが、欲を発散するだけのお相手よ。そうでなければ、おかしいでしょう?」
かっ、と朱夏の頭に血が上った。死してなお、琉兎を貶めようとする蓮黄に、腹の底に溜めていた怒りが爆発しそうだ。
「其方らの企みが、実を結ぶことはない」
朱夏の言葉と同時に、烏が蓮黄目がけて飛び込んだ。そちらに意識が向いた隙に、朱夏が彩里を取り押さえる。
蓮黄の手から懐剣を手刀ではたき落とした烏は、その手首をぎりりと捻り上げた。痛みに顔を歪め、それでも蓮黄の視線は朱夏から離れない。
「……愚かな親王さまね。わたくしを殺せば、今上さまのご回復はならなくてよ」
「宮廷には優秀な薬師が大勢いる。外国由来の毒消しとて手配できる。其方がおらずとも、今上帝はご回復なさる」
輝山の大臣が送り込んだはずの薬師たちは、大臣の貴人牢への連行と同時に夏勢帝の側から追い払われていた。もう一度、朱夏の名で呼び寄せなければならない。
「其方にも、父君と同じ貴人牢へと入ってもらう。そして、今上帝がご回復されたなら、裁きの場を設ける」
朱夏の言葉に、くすくすと蓮黄が笑った。
「……何がおかしい?」
「わたくしは、夏勢さまとともにいられるのなら、生きていても死んでも構わなくてよ」
「何を……」
蓮黄の榛色の瞳が、烏に押さえつけられたままで朱夏を射抜く。
「冬廉のものにならないのなら、高貴な姫君など要らなくてよ。ご正室さまの、ご無事のお戻りをお祈りして差し上げるわ」
「っ!」
目を見開いた朱夏の目の前で、蓮黄の体がゆっくりと傾いだ。
「烏!」
彩里を押さえたままの朱夏が叫ぶのと、蓮黄の体から力が抜けるのは同時だった。
「ちっ!親王さま!奥歯に毒を仕込んでいたようです」
口から血を流し目を閉じた蓮黄を忌々しげに見つめ、烏が朱夏に叫ぶ。
「その女も、口を閉じさせないようにしてくださいっ!」
咄嗟に、朱夏は彩里の顎を掴んで大きく口を開けさせた。袂に忍ばせていた仙螺の大臣が蓮黄に宛てて書いた文を、くしゃくしゃに丸めて彩里の口に突っ込む。
「……っ、んぐっ」
驚いたように目を見開いた彩里の手首を後ろで縛り、その場に転がして朱夏は寝台へ駆け寄った。
「どうだっ?」
蓮黄の口を開き、何とか毒を吐かせようと乱暴に背を叩いている烏が、朱夏に向かって首を振った。
「まだ事切れてはいませんが……奥宮の薬師を呼べますかっ」
朱夏はくるりと踵を返して蓮黄の私室を飛び出した。




