佰肆
黒門を護る女性武官の前で朱夏は足を止めた。
警護のための棒を構え、武官が口を開く。
「これは、日嗣宮さま。何事でございましょうか」
「開門せよ。危急の時だ」
「お許しは出ておりません。お戻りください」
想定内の返答に、朱夏は冷たい笑みを浮かべてみせた。
「今上帝さまの御身に、危機が迫っている。国を揺るがす一大事だ。其方らが役目を果たしたいのもわかるが、今は目を潰れ」
困惑したように顔を見合わせる武官を無視し、朱夏は烏に視線を送った。
「開けろ」
「御意」
進み出た烏に、武官二人が警戒を強める。その二人に、朱夏が静かに尋ねた。
「第二室どのはいらしたか」
「は……第二室さま、でございますか」
「私どもは、今朝方交代で参りましたので、それより前のことですとわかりかねます」
考え込む朱夏を心配そうに見やって、烏が黒門の閂に手を掛けた。武官が制止の声を上げる。
「押し通ると仰せならば、力づくでお止め致します」
「……吾は日嗣宮さまに従う者」
朱夏の側近と知られる烏を、強引に門から引き剥がすべきか武官は逡巡した。
先日から、宮中で何事か起こっているようだが、奥宮を守る自分たちには詳しいことはわからない。こうして、日嗣宮である朱夏が帝の許しもなく奥宮に押し入ろうとしていることで、相当の重大事が起きているのだと察せられる程度だ。
先ほど、朱夏は今上帝の身に危機が迫っていると言った。それが真実ならば、ここで押し問答していることすら、後々罪に問われるかもしれない。だが――。
「それでも、ここは男子禁制の帝の後宮でございます。お許しのない日嗣宮さまが、立ち入ることは……」
「では、こちらを」
朱夏は懐から、輝山の大臣の署名入りの書状を取り出した。冬の宮を飛び出す直前に、仙螺の大臣にも署名をさせたため、帝の室であっても捕縛できる。
それで罪が減じられるとでも思ったのか、朱夏に言われるがままに署名する大臣の姿を、頭を振って脳裏から追い出した。どれほど気の毒に感じても、政敵なのだ。
「仙螺に謀反の動きありと、すでに冬の宮は制圧した。仙螺の出である第二室どのにも、こちらに従っていただかなくてはならない」
「っ!」
「あちらが奥宮からお出ましにならないのなら、こちらが踏み入るしかない」
困惑したように顔を見合わせ、武官二人が視線を彷徨わせる。これまで貴人が取り押さえられるところになど、出くわしたこともないのだろう。
「私を通しても通さなくても、其方たちが罪に問われることはないと約束しよう。其方たちは役目を果たし、国の大事に機転を利かせただけのこと」
「……」
「帝の御身を守れたのなら、誇るべきことですらある。さあ、開門を」
声を荒らげずに促す朱夏に、武官の一人が構えていた武器を下げた。
「……奥宮に詰めております、他の武官を呼んで参ります。そちらをお供になさるのならば、門をお開け致します」
「かたじけない」
武器を下ろした武官が宮へと駆けていった。もう一人に視線を向けて、朱夏はようやく微笑んだ。
「其方たちは、このまま門を護っていればよい」
「無論、そのつもりでおります」
「輝山の者たちもここへ置かせてもらうぞ」
姿勢を正したままの武官をその場に残し、輝山の兵たちに人の出入りをさせないように命じて、朱夏は烏とともに奥宮へ足を踏み入れた。向こうから、呼びつけられた他の武官が駆けてくる。
朱夏の前で立ち止まり、疑わしそうな瞳を向けてくる武官に朱夏は苦笑した。
「仕事を増やして済まぬな。だが、先を急ぐ。第二室どのの部屋まで案内してくれ」
「……御意」
黒門が大きな音を立てて閉じられた。外界から隔絶された、花の香りと側室たちの香が香る冷たい空気。
久しぶりに足を踏み入れた奥宮は、以前の記憶よりも人が減っているように朱夏には感じられた。
正室美紘が床から離れられず、夏勢帝は籠宮で迦陵を寵愛し、奥宮には滅多に寄りつかない。女たちが暮らす閉ざされた場で、蓮黄が親王を産んだ第二室として権力を集中させていくのは当然のことだったろう。
この奥宮に住まう者のどれほどが、蓮黄に与してしまっているのだろう。烏だけを連れて来たのは失敗であったか。朱夏自身に仕える隠密も、幾人か引き連れて来るべきだったろうか。
頭の中を様々な考えが流れ、朱夏は唇を噛んだ。蓮黄を捕らえるとなれば、どれだけの抵抗があるか。
警戒を解かないように、慎重に朱夏は廊下を進む。
角を曲がり、絢爛な扉が朱夏の目に飛び込んだ。艶やかな花々が描かれた、特注の真紅の扉。蓮黄の髪の色に合わせた、贅を凝らした扉であった。
相手に逃げる隙を与えないよう、朱夏は前置きなく扉を開け放った――。




