玖拾玖
朱夏に仕える隠密たちは、夏勢帝が選んだ者たちではない。
誕生の際に、年の近さからつけられた貴族出身の者たちは、朱夏が成長するとともに側を離されていった。高貴な身分を鼻にかけ、傲慢に振る舞う若者たちは朱夏の目に醜く映ったためだ。
頭を抱えた夏勢帝は、それならばと庶民出の烏を側につけることとした。それまで表宮で帝一族の影として働いていた烏は、夏の宮で高貴な親王の前に顔を晒すことに戸惑った。側仕えとは、身分高い者たちの務めではないのか、と。
だが、初めて出会ったまだ幼かった朱夏は、青灰色の瞳で烏をじっと見つめていた。屈託なく伸ばされた小さな指が、ぎゅっと烏の指先を掴んだ時、烏は心まで朱夏に奪われてしまったような心地がした。己のような者に、高貴な身分で躊躇いなく触れるとは、と。
帝の世継ぎとして、よく学びよく鍛え、時に市井にお忍びで下りていく朱夏に振り回されながも、烏は心からの忠誠を朱夏に誓ったのだ。
その朱夏が、市井に下りると時折連れ帰った身寄りのない者たちがいる。
虐げられ、住む場所も食べるものもない孤児たち。扶養院にも入れず、物乞いとして生きていくしかない者たちだった。
夏の宮で、朱夏は彼らに食事を与え、己に仕えるかどうかを選ばせた。嫌がった者は、すぐに市井に帰してやった。自分の意思で残った者だけを、烏に預けて隠密として鍛えさせたのだ。琉兎という名の少女との出会いが、きっかけになったのだろうと烏は思っている。
帝一族の者としては例のないことであったが、夏勢帝は何も言わなかった。
民を知り、国を治めるために必要なことならばと、黙認していた。
その隠密たちが、冬の宮に忍び入り、黄駕が漏らした情報の裏づけを取ってきた。
報告を纏めた烏が、朱夏の前に膝をつく。
「親王さま。国庫の帳簿と宝物殿の目録は、冬廉親王さまのご寝所に隠されているようです」
「父上に盛られた毒は?」
「そちらは、冬の宮に仕える彩里という侍女が、隠し持っているようです」
「……第二室の腹心か」
腕を組んだ朱夏は、何かを考え込むように目を閉じた。
櫻花楼の最上階の部屋で、凛慈が淹れてくれた薬草茶を味わいながらの時間であった。
舎利の部屋には女たちが入れ替わり立ち替わりやって来て、黄駕を捕らえている奥の寝室へと嬉々として消えていくので、こちらの部屋へ戻ってきたのだ。
苦笑していた凛慈が、唇に人差し指を立てて「秘密の制裁です」と囁いていた。
「父上の容態は探れたか?」
「そちらは、まだ。ですが、煌姫さまはお健やかにお過ごしのようです」
烏の言葉に、朱夏は目を開けた。
「……泣いては、いないか?」
「親王さまと離されてご不安なようですが、気丈に振る舞っておられるようです。仙螺の武官たちが固めておりましたので、近づけず申し訳ございません」
「いや。今あちらに警戒を抱かせたくはないからな」
組んでいた腕を解き、朱夏は頷いた。
「もう一仕事、頼む。貴人牢へ忍び込めるか?」
「輝山の大臣ですか」
「冬の宮に踏み込むために、輝山家の力が要る。日嗣宮の名だけでは、仙螺を取り押さえられない」
朱夏の言葉に、烏は難しそうな顔を作った。
「兵を動かすお許しを、大臣から得て参ればよろしいですか」
「それと、捕縛状への署名だな。仙螺の署名は貰えないだろうが、冬の宮への立ち入り捜査のための書状ならば、輝山の大臣の署名だけでいいはずだ」
貴人の捕縛には、両大臣の署名が必要である。朱夏を捕らえたあの書状の署名は、輝山の大臣が脅されて書いたものかどうかも、朱夏は確かめたかった。
烏は小さく頷いて立ち上がった。
「偵察に長けた者を向かわせます。親王さまからの、お言伝はございますか」
「……時機を待て、と」
「御意」
体を休める間もなく出て行こうとする烏の背に、朱夏は声を掛けた。
「汚れ仕事ばかりさせて済まぬ」
ぴたりと足を止めた烏が、勢いよく振り返った。
「親王さま」
「うん」
「吾らは、親王さまにお仕えするのが喜びなのです。必ず、御身を正しい場所にお戻しします」
「……ああ」
朱夏の小さな返事を聞き漏らさず、烏は微笑んで部屋を出ていった。
ふう、と息を吐き、朱夏は一人になった部屋で次の知らせを待つしかなかった。




