芸術における寛容性
[前回の話]
朝顔に学ぶ寛容
[今回の話]
芸術と寛容
戯言士などと名乗る私ですが実はシュルレアリスムが苦手。
いや、だって話に脈絡がなく、支離滅裂で何が何やらさっぱり理解不能でどう解釈すればよいのか判断がつかないですから。
例えば、空はなぜ青いという問い掛け。これに対する回答を思考タイプで私なりにいくつか予想してみたところこんな感じとなりました。
[リアリズム]
大気による光の分解
[ポストモダン]
空だから空色
[ダダイズム]
坊やだからさ
[シュルレアリスム]
鼻糞をほじっていたらカレーを食べたくなった
リアリズムのそれは科学的分析であり最も納得のいく理論的回答、というか解答といえるでしょう。
ポストモダンのそれは……、まあ身も蓋もないメタですね。こう回答されれば返しようがありません。
ダダイズムのそれはちょっとばかり意味不明。ですが青さとは若さに通じるというわけで感傷に基づく哲学的回答といえるのかな。飛躍はあれど理解は可能です。
そしてシュルレアリスム。
飛躍が激しく意味不明。どこに空との関連性があるのかさっぱり。命題が完全拒絶されているとしか思えません。
というか、これは私の偏見に基づく予想だけに本当にこういう回答になるのかは不明です。だって私にはシュルレアリスムを理解なんてできませんので……。(苦笑)
脈絡のない話を理解し消化するという行為の不毛さを理解してはいるのですが、それでも敢えてその心理を探ろうとしてしまう知的好奇心故にその文脈を深読みしてしまう徒労。ですがこれは性なのだから仕方がない。
聞くところによると意図的異化性がシュルレアリスムの本質であるとか何とか。
つまりどれだけ支離滅裂を極め相手と解り合うことを拒絶した上で受け入れられるかの寛容性を試す実験的芸術なのかも知れません。……って、まさかね。
実際、オートマティズムという自動筆記手法は深層意識に基づく表現であり完全な無の思考ではないのではないかとも思う私。
う~ん……。
そういえば無意味なものに意味を見出だすアポフェニアというものがあるのだとか。以前私もそれをネタにした無意味な記号の羅列だけの作品を投稿したことがあります。そんなものでも解釈次第で作品として成立するという意味合いの作品でした。なお規約ではそういう表現手法は禁止されているため運営から非公開を求められ自主的削除となりましたが。(苦笑) 因みに私としてはシュルレアリスムをダダイズムへと転化したつもりの作品だったのですが、やはり無意味の破壊は難しいようで。これも適性というものなのか……。
無意味からの価値観といえば猿による創作という喩えが。猿が適当にキーを叩いただけでも偶然傑作が生まれることがあるという揶揄ですが。実際のところは譬に過ぎずそんなことは起こり得るわけもないのですけどね。つまるところ、これは天才を自負する者が他者を貶めるために生み出した一種の冒涜的表現といえるわけで。
最近ではAI生成物を貶めるために使われる理論ですが、正直なところこれは不適切。感情はなくても表現技術は人類文学の結晶だけにプロンプト次第で傑作を紡ぐことは可能です。安定した再現性こそが機械の特徴なわけであり、そこからの偶然が更なる超傑作を生み出すのは大量生産による自明の理。人間の手による試行錯誤を自動化による合理化で高速化させただけに過ぎません。プロンプトという設計図があるだけにアポフェニアとは似て非なるものなんですよね。
とはいえ、私としてはAI生成物に限らず猿の定理の方も創作物であると認めるスタンスだったりします。
というのも、才能や意図はともかくとして、それでもその猿が作品を作るという行為を行った結果に生み出した作品なわけですから。なのでそこにその猿の感情というものが存在するというわけで、これってある意味感情を持たぬAI生成よりも価値があるといえますよね。感情に基づくAI否定派はこの皮肉にどう応えるのやら。因みに私としては褒められて伸びるという因果に基づきその猿の知性が成長するものと考えております。
え? 何が言いたいかって?
まあ、要するに、どんな意図や表現であれ結局のところは受け取り手がどのように受け止め受け入れるかが全てであるということで。そうでなければどんな傑作も意味を持たぬ記号の羅列に過ぎず、逆にリスペクトさえあればどんな駄作でも傑作として昇華される可能性がある。
つまるところ、受け取り手が否定ありきでは良いものを発見することは絶対にないということで、せっかくの機会を無駄にしているといえるでしょう。
う~ん、ちょっとばかり極端な譬だったかなぁ……。




