ルサンチマンですがなにか?
[前回の話]
良作に振り回されてます。(笑)
[今回の話]
AIブームに振り回されてます。
巷で幅を利かせるAI小説。
「どれもこれも判で割ったかのような作品ばかりで個性がない」と「きっと盗作に違いない」「とっとと垢BAN喰らえばいいのに」等と『人間の人間による人間のための健全なサイト』を理想として掲げる者たちが更に幅を利かせて、魔女狩りならぬAI狩りが大流行。
ですがこれ、本家の魔女狩りが誤解による冤罪を含んでいたように、いや、もっというならば意図的な演出であったように、煽る者の主権を維持し高めるためのアジテーションに過ぎないようにも見えている今日この頃。だってこれを煽っているのって一流になりきれない商業化作家さんだったりしますしね。つまるところ二流作家による三流やアマチュアの台頭をAIを材料に否定してテンプレート独占を図っているだけの実態が陰に潜んでいるように見えますから。
とはいえ、彼らの言い分はある意味事実。 AIは過去のデータからの分析ですし、そこから主流となるテンプレートがあればそれに倣うのが基本ですし、況してや模範解答といえるべき作品が存在すれば更にそれに倣うのもまた必然。偶然の盗作もその確率は高いわけで、知らぬは利用者ばかりなりなんてことも。
ですがねぇ……。
これってAIだけじゃないんですよね。人間だって潜在意識というデータベースは同じですし、過去に感銘を受けた良作があればそれに近しいものをとリスペクトした習作を作るもの。ピカソの「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」ではないですが、これぞ倣うからの習うへの昇華、学ぶというものではないでしょうか。
そういえば、AI否定派ってAIの無断学習を否定しているんでしたっけ? 知的財産権の侵害だとか同一性保持権の侵害だとか言ってますけど、それも自身が行うときは既存テンプレートの一言で済ませる、もしくは人間とAIは別物であり問題のレイヤーが違うと嘯くのか。
こういうのって、過去の知識人が門下制度を以て知識の独占をしていたのと何が違うのやら。いまいち私には違いというものが解りません。そういえば現在の政治でも政党所属が有利で、無所属は有害な無知蒙昧の冷やかしなんて偏見があったりしますし、これと似たようなものなんですかねぇ……。
とはいえ、これは社会の場においては信用こそが公益を担保するという一面もあり、また、主流と異端……もといマジョリティとマイノリティの意見の対等的平等性保持においては多数意見の尊重こそが個なる個人の意思の尊重。マイノリティの統合的集合こそがマジョリティというわけですしね。
ですがそれはあくまでも公益の場において。個人の趣味を尊重し合う場においては、それらマジョリティこそがマイノリティに寛容であるべきではないでしょうか。それができないからテンプレート迎合の判で割ったような味気ない模範解答が蔓延することに。
当然模範解答ですので間違いというわけではないのですけど、模範解答故にそれは解答外。ですが模範解答が溢れればオリジナルの解答はその分幅が狭まるんですよね。限りある正解を奪い合う椅子取りゲーム的構造において、新たな椅子の概念を持ち出す矛盾。私とすれば椅子がないならば机なりに座れば、もっといえば悪どく他人の膝の上に座ってやればとも思うわけで。後者の場合一応は椅子の上なわけですし、詭弁でこそあれ建前上はルール違反ではないですしね。もちろんこういうラテラルシンキングはルールを冒涜した異端思考なわけで不文律違反ではあるのですが。
とはいえ、真の創作性とは詭弁の芸術。枠に嵌まることをよしとしないのならばその枠を打ち破るしかないわけで。そしてそれを為すにはそれを知る外になし。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の言葉通り、そして「兵は詭道なり」とも。
正攻法こそが王道ですけど、それでもそこにそれを崩す個性なしには兵法というものは成り立たず。そういう意味ではAIのそれに自身のアイデアというアレンジを加えた作品がランキング上位にあるのも納得というものですね。
などと言いつつ、私は王道というものを知りません。なので今は詭道のみの個性が基本です。ですが何も知らぬよりもまずは自身を知ることというアプローチもありでしょう。「己を知りて敵を知らずば一勝一敗す」ではありますけど、「己を知らず敵を知らぬ者は一勝も得ず」よりはマシですから。
本当は「来た、見た、勝った」が理想ですけど、そんなのは一部の秀才に許された境地。ローマへの道は遥かです。
念のためですが、AIは使っておりません。定形の表現は単に私にボキャブラリーが乏しいだけです。
もしこれがAIの特徴と一致するというのならば、きっと学んだ先がそれと同じなのではないかと思います。(笑)




