小説家になれ!
[前回の話]
所詮は趣味
[今回の話]
趣味とは病
果たして誰が言ったのだろうか。
運営は投稿者に一月当たり3万文字のノルマを課したとか。
そして読者は運営のAI使用許可に不満を抱きつつ、彼らの作品を評価し、否定する。
そして言う。
「ゴミに費やした時間を返せ!この詐欺師め!」
対する執筆者たちは読者の期待に応えるべく、良質な作品を求める今日もAIのサポートの下新たな作品を紡ぎ出す。
辛辣な読者たちに犯罪者呼ばわりされる毎日と知りながら。
だがしかし、何か怪訝しくはないだろうか?
サイト運営は投稿者の作品により成り立っている。
読者はその作品を無料で読み漁る。
そして作品を投稿する者たちは、運営からのノルマを抱え読者のために創作を続け、彼らの評価により否定される。それこそ学識や人格、人生そのものの意義に至るまで。
なのにそれでも書き続ける。マゾなのか?
書く者たちは考えたことがあるのだろうか、それを言う彼らが二十歳にも満たぬ子どもに過ぎないということを。そしてそんな彼らに罵倒される自身の年齢を振り返り、アホらしくなることはないのだろうか? それこそ子や孫のような者たちに人生を否定されることに対して疑問を抱くことはないのだろうか?
はっきりと言おう、これはメタ的な視点に立てばこの上ないほどの喜劇であると。
だからこそ、こういったサイトを利用しない者たちは呆れて言う。
年端もいかない子どもに馬鹿にされてまで何がしたいのか?
いい大人がみっともないと言ったらこの上ない。
多分それは書く者たちが一番解っている現実なのだろう。だからこそ引っ込みがつかないわけだ。正気に戻ればただただ虚しいだけだから。
だがしかし、そんな彼らの行動を肯定するものが幾つかある。
そのひとつが、最近導入されたリワードシステム。執筆すればそれに応じた報酬が約束されるようになったのだ。たとえそれが端金であったとしても。
そしてもうひとつ、これこそが書く者たちを惹き付ける報酬。出版社主催のコンテストだ。がんばればプロ作家になれる可能性がある、それが彼らの中毒性を生む。
殆ど万が一の博打に等しいと解っていても、それでも一応は実力が反映されるわけで、だからこそ彼らは自身の可能性を懸けて人生を賭ける。
端から見れば夢見勝ちな痛い人なのだが。
人生はギャンブル、勝った者こそが人生の勝者。こんな台詞はフィクションだけなのだが、それでもそれをなした者が存在する以上可能性は確かに存在する。
とはいえ、それもまたAIの台頭により怪しくなってきているわけだが。
なるほどだからこそ誰もがそれに頼るわけか。ラノベでいうところの他力本願チートというやつだ。
ラノベ作家の夢をラノベ思考で掴もうとする者たち、これぞ正にメタ的な喜劇である。
そして喜劇であれば彼らの失敗はお約束。成功すれば喜劇ではなくサクセスストーリーとなるわけだから、シナリオを描く神がそれを許そうわけがない。なぜならばそれは喜劇なのだから。
とはいえ、喜劇故に悲劇ともならない。但し夢から醒める必要があるが。物語というものには最終回が付き物。
果たして人生の物語を、主人公たる彼らはいかに終らせるのか。
それを知るのは神と当事者ばかりである。
──でも、やめられないんですよね。
書くことが好きだからこそ書き続ける。
最早病といってよいでしょう。
ですがそれこそ趣味というもの。
持ってしまった性というものはどうにもなりません。(苦笑)
いや本当に、なんで私もここまでして執筆を続けてるんでしょうね。(苦笑)




