やはり判らない……
[前回の話]
結局何が禁止なのやら?
[今回の話]
結局何をどうしろと……。
先日投稿した『アンチAIエッセイの正体 ~ 実はAIに頼ることをしない底辺作家を間接的に貶めている? ~』ですが例によって私の主観的偏見に基づいた客観的視点による解釈を用いた作品となっております。
ですがどうしても私にはAI否定派と肯定派のマウントの取り合いにしか見えないんですよね。
否定派はAIは決まったパターンの表現しかできない作品ともいえないゴミを撒き散らすという意見。
肯定派はそれはプロンプトの組み方が稚拙なだけで正しい分析に基づくしっかりしたそれを組めば使わぬ者の作品よりも優れた作品を生み出すことが可能であり、劣悪なゴミしか作れない者たちと一緒に見るなと反論する。
これってその劣悪なゴミとやらをAIを利用者して投稿する作者と、自力で書いてそれに到らぬゴミ以下の作品を投稿する者を貶めているのではないかと、そんな風に思ってしまうのは本当に私だけなのでしょうか。
実はあの後も幾つかのAIに関するエッセイを読んでみました。
なるほど確かに私の偏見だったのかも知れないと思う作品もあるわけですが、それでもやはり自身の立場を確立するために相手を否定し、その材料として一定水準に届かない作品を以て根拠としていたりするっぽいんですよね。
確かに彼らの言い分は正しい。
ですが しかしそれは良質な作品を作る手法の正統性であり、劣悪作品を作る作者の作品を否定することで成り立っているわけで。
それは間違いではありませんが、それらの議論が過熱すればするほど、至らぬ作品の作者たちの立つ瀬がなくなるわけで、優劣に拘るせいかその辺の配慮というものがないんですよね。
そしてそれでいて、中立を掲げる者はまた創作の手法は自由だと言いながらも彼らのそれを肯定する。つまり底辺作者を見下すことに関しては同じなんですよね。
確かに私のそれは底辺と呼ばれる者のコンプレックスです。ですがそれとこれとは別問題。私がしているのは存在意義の問題です。
どちらが正しいかで派閥を掲げる者たちと、中立無関心を装いながらも劣等感を抱く者を嘲る者たち。
これに苛立つのは果たして怪訝しいことなのでしょうか。
私も一応は中立派ですが、足掻く底辺作家たちを見下すことだけはしたくないです。
まあ、俯瞰的に見れば同類相憐れむに過ぎないのかも知れないですし、私もそれを否定しはしないですけどね。
ただそれでも、素人の投稿が許されるサイトにおいてマウント合戦に巻き込んでくれるなと思わずにいられないこの頃です。
などと言えば意識するからと嗤われ呆れられるわけですけど。
それでもそういう性分なのだから仕方ないですよね。(苦笑)
多分一番悪いのは読者。
AIのテンプレは彼らの求める作風や表現に応えただけであり、後にそれが飽和したことで厭きたと言われるようになっただけでしょうに。
同じプロンプトを組むAI作家のそれも問題ですけど、実際のところは流行に乗じる人間の作家も同じなのにねぇ。
事実人間の作品がAIのそれと間違われたりすることもあるわけで。それを思えば作者を振り回す読者というのも適当なものです。(笑)




