間違えたっていいじゃない
[前回の話]
AIの否定
[今回の話]
AIの肯定
ものを書くのにAIを使う、全てをそれに任せるAI生成が問題となっておりますが、自身の執筆にサポートとしてのみの利用をしている人も多いのではないでしょうか。
私は後者のタイプです。イメージはあれどなかなか言葉にできない、そんな閊えた問題も具体的に表現という形でサポートしてくれる。これで胸の痞も無事に解消。とても便利。
これはAIとは違うかも知れないですが似たようなものは他にも存在しているんですよね。例えば文字の自動変換機能とか。
ただ、ここで問題なるのが誤変換。自身で書くには間違いようのないものもかなりの確率であり得ない形へと変えてくれます。例えば漢字にすれば数文字程度のそれが意味の解らない数字や記号へと。
この例の場合一目瞭然なほど明確なため気付き易いのですが、これが同音異義語の漢字や英語だったりすると……。
信用ならないと解っていてもついつい信頼してしまう。効率化という便利さに慣れてしまうと注意力も散漫となるんでしょうかね。それともこれは私だけ?
ならばAIならばどうか?
残念ながら私はAIというものをよく知りません。なのでおそらくは偏見なのかも知れませんが、AIだとその手の間違いはないのではないかと思っております。人工知能というくらいですからその辺は文脈を考えて正しい言葉に変換してくれるでしょうから。それこそ人間のような勘違いによる間違いさえもないでしょう。
ただ、問題なのはハルシネーション。幅広い情報量は正しい解答を導き易いですが同様に間違った解答も導き易く、情報源が誤っているとそれをそのまま鵜呑みにしてしまうのは案外人間と変わらないんですよね。
AIは便利。全人類の叡知を詰め込んだ個人の上位互換といえる存在。但しそこには良くも悪くもという枕を冠する必要があるわけで。所詮は人間に依存するものである以上結局は人間に帰するといったところでしょうか。
そのせいなのでしょう、AI生成物に関してはそれに対するリスク面で警鐘を鳴らす者が多いのは。
個人的にはその通りだと思うのですが、だからといってそれでAIを全否定するものまたどうかと。AIはツールであり責任を負うのはあくまでも人間、情報を発信するにしても受け取るにしても人間が責任を持って判断することが肝心なんですよね。つまり発信する者だけが悪いのではなく、それを鵜呑みにする受け取り手もまた悪いというわけで。
これからがAIの時代というのならば、AIに踊らされない心構えを持つことが人間に求められるのかも知れません。
間違えたっていいじゃない。
そんな風に言える心の余裕が欲しいですよね。
本文ではこんなことを述べおりますが、やはり過ちを招く誤りがない方が好いことに変わりはありません。ジョークはジョークであり無害だからこそ笑っていられるわけですから。(笑)




