ライトノベルは文字通りお手軽?
[前回の話]
読んで書くことに対する規制?
[今回の話]
読むことで書かせる手法の時代?
ライトノベルは重厚な純文学を離れた自由奔放な気軽さが売り。読者が気楽に手にとりサクっと流し読みできる手軽さの読物。近代文学が目指した大衆娯楽文学の概念を継承し昇華した一つの形といえるものでしょう。
その作品は作者により計算尽くされたユーモアの結晶……と思いきゃ必ずしもそうとは限らず刹那的な快楽の詰合せなんてものも実は少なくなく、テーマこそあれどその場のノリが重視されていたりもするようで。だってlightとrightが本質ですから。まあ、その分カタルシスが求められておりrightな正義から離れたleftさが崇められるのが基本で倫理はleft。いかにフィクションとはいえ良いのかこれで。
それでも作者は作品に魂を詰め込むことに必死。いかにして読者の共感を得て評価される作品とするかに苦悩する。とてもrightにwriteとはいかないんですよね。まあ、上昇志向なく趣味で書いている私は例外ですけれど。(笑)
……のはずだと思っていたのですが最近はそうでもないようで、僅か数ヶ月で数千万文字の作品をさらっと書いてしまうらしいです。1日で10万文字を超える? 冗談でしょ?
これ、実は強ち冗談ではないようでAIを利用すれば余裕?
テーマを与えて自動生成、その後作者による校正や調整と言いますが、それも多分AIに指示を与えるだけ。作者は作者というよりも編集者というのが正しそう。規約はユーザーの構想と執筆を以て作品と定義(第2条11項)するみたいですけど果たしてこの場合どうなるのか。
こんな意見も文明の利器AIを使い熟せない者の僻みであり、合理的効率性を理解しないか否定する馬鹿の戯言ということになるのでしょうけど、それでも表現は自身のもの、他者やAIなんて物に委ねる本末転倒は理解できず。
ハルシネーションという虚偽や誤情報、作品における設定破綻、知的財産権の侵害等の問題のあるAI生成作品ですが、それは人間が自力で書いてみても同じこと。情報は外部から入ってくるものですし個人の価値観による解釈ですので表現においては間違いもある。人間の脳では情報保持量に限界があるため長く連載をすれば破綻も出る。知的財産権もオマージュやパロディをやれば当然ながら人間でも法や規約に違反する。引用ですら正しく行わないと危険ですしね。というわけで人間のやることもAIがやることと大差なく、これに鑑みれば合理的効率性に勝るAIを使わない理由はないとなるわけで。
う~ん、今でこそAI生成を嫌悪する風潮ですけど、需要に対する供給効率を考えると……。
創作における人間の未来は暗いのか?
少なくとも刹那的な娯楽を満たすことにおいてはAIの特性は適性が高く、作品を流すように読むライトノベルとは相性が良いといえるでしょう。
だとすると人間は純文学を目指すことになるのか。とはいえそこでもAI作品が席巻、賞を浚っているのが現実。
やはり創作における人間の時代は終わったのか……?
自身でのwriteからAI生成作品のeditへ。指示を出し読んで再構成の繰り返し。但しそれもAIに任せてでしょうけど。
これは創作の錬金術? 次元は違えど労力はあるということでしょうか。
人間は責任だけを負えばよい?(苦笑)
前から思っていたことなのですが私の執筆スタイルって、AIのハルシネーションと類似してますよね。曲解や極論が多いですし。(苦笑)




