好きに書いてもいいじゃない
[前回の話]
それでも好きに生きています (笑)
[今回の話]
それでも好きに書きます
よく作品の書き方についてのエッセイを見掛けます。
そこではいろいろと創作論が語られておりこれから作品を書き始めようと思う者、作品が思うように評価されずに悩む者へと参考となることが述べられており実に役立つ作品ばかり。
……但しそれはあくまでも技術論的なものであり、中には作品を書く理由そのものを否定するものも存在したり。判り易くいえばそういうの主張は作品が読まれるようになってからやれという感じなんですよね。
正直これってどうなんでしょう。
それらの作品を読みに来た者はそんな在り来たりのことが訊きたいのではなく、いかにして自身の主張を認めさせるかを知りたくて来ているというのに、それをするには百年早いなんて感じで扱き下ろすような──いや、さすがにそれはないにしても、それでもその人間の個性を封じ込めテンプレという安易な型を提示する。露骨にいえば売れている作品の模倣をすれば売れるなんて話に終始しているだけ。
あとはキーワード設定や、他のSNSサイトを使った宣伝戦略を語る感じかな? これを言う者は作品内容よりも宣伝を重視するタイプで、勝負の土俵に上らない馬鹿は作品を書いても意味がないと知らない馬鹿以前の大馬鹿の嗤う感じ……っていうのは言い過ぎですけどそんな相手を嘲笑うような持論が展開されているような錯覚を起こすものも多く……。
なんなんでしょうね。これらっての作品を書いた人たちって本質を無視して相手のマウントを取りたいだけなのではと疑ってしまうのですが。
実際彼らの中に実績のある者は少なく、ある者であっても決定的なところは隠している。
まあ、当たり前ですよね。前者は知らない故にそれを語れず、後者はライバルを育てることななる故に本質を教えることはない。
結局のところ、それらの作品はテンプレをなぞれ、宣伝が大事と述べるだけで何を重視するべきかテーマとするものを語ることはない。
それも当然といえば当然。まさか異世界を舞台にして、ファンタジーやチート要素でなんでも可能な能力を与え、そして全ての欲望を肯定し叶え、対立するもの全てを悪しき存在として蹂躙する。
現実の制約を超越した先にあるカタルシス、それをフィクションという名の免罪符を以て肯定する、そんな主人公の絶対的独善の下に善悪逆転の作品を描くことを奨めるなんて言えませんから。
偏見?
いかにも私の偏見です。
だって本来作品というものは作者の言いたいことを表現するもののことでしょう。
本音を隠して形だけをなぞる、そんな中身のない作品に誰が魅力を感じるというのか。
昨今創作業界を席巻するAI作品、これが嫌われているのもその概念を具現化したものであるからなのではないでしょうか。
というわけで、私としては技術よりも何を訴えたいか、作品のテーマこそが第一であり、技術なんてものは後からついてくるものという考えです。
下手の横好きとなる可能性は高いですが、それでも無いものは芽を出さないですしね。
え? 技術?
そんなもの、私が語る必要はないでしょう。それらは先の彼らの作品において厭っていうほど語られてますし。
それに何より、私は肝心のそれを持ってはいないですしね。(笑)




