第8話 墓参りの日 1
ヤジョヌズの朝は寒い。
自分の体温で暖まった毛布の中に頭も体も全て隠して、クシフは夢の中にいる。
母が父の名を呼んでいた。
「レイデッド、レイデッド」と繰り返し呼ばれて、父が顔を出す。そして何か言った。
「おいおい、何度俺に同じことを言わせるんだ? 俺の口は多くを語るためにあるのであって、少なきを繰り返すためにあるんじゃないんだ。
だから起きろ、とにかく起きろ!
もう薪割りしながらロバ相手に人生を語るのは飽きた。今度はお前が聞く番だ、そうは思わないか?」
早口に言葉は踊り、クシフの毛布を一枚二枚と剥いでいく。
夢の中の父と母は消えていた。
クシフは必死で最後の毛布にしがみつく。
昨夜、エレの旅話とビッターラビィのでたらめな哲学の聞き手を引き受けたため、睡眠時間も足りていない。
「はあん、抵抗するか。
しかし思い知ることになるぞ、毎日毎日紅筆ばかり握っているお前と、朝から薪割りをこなすビッターラビィ様との腕力の違いを、な!」
しっかり握りしめていたはずの毛布は、あっさりと奪い取られる。
「どうだ! 目は覚めたか?
そして思い知ったか、力の差!
悔しければ水くみにでも行ってこい。悔しくなければ早く格好を整えて俺の話を聞け。
今日は海の話をしてやるよ、お前見たことないだろ海。ババジャロの向こうには海があるんだ。海はいいぞ、大きいんだ。
あれが男だったらさぞかし器の大きくて漢気あふれる男になっただろうにな」
「……お前、寒くないか?」
クシフは寝癖のついた髪を押さえながら身を起こす。
そしてビッターラビィはというと、上半身裸で立っていた。
「言っただろ、薪割りしてたんだ。いやぁ暑いわ。ヤジョヌズの風は冷たいが、薪を割ってしまえば無意味だな」
熱気まではらんでいるかのような笑いがクシフの耳を突く。
「さて、朝の儀式でもやりに行くか?」
「ああ。昨日は一人で、大変だった」
向かうは二人で勝手に儀式の間と呼んでいる部屋。
そこにはお姫様が眠っている。おそらく妄想的な夢を見て。
「今日はどんな騒ぎ方をするやら。
どうにもアレを聞かないと朝がきた気がしなくてな。つまるところ昨日の俺には朝がなかったんだ。
人間は朝日を浴びないと体にカビが生えるというからなっ、さぁ開けるぞ」
ビッターラビィは勢いよく扉を開ける。そしてベッドへ直進した。
「ヴァネットサミス! 朝だっ!
さぁ起きろ、俺はもうクシフまで起こしたんだ。 俺はお前ら二人のお母様じゃないからな」
言ってるわりには嬉しそうな声のビッターラビィ。
次いでクシフの時と同様に毛布をはいだ。
部屋の前にクシフらが来た時点ですでに起きていたのであろうヴァネットサミスが、わざとらしく可愛い寝返りをうったりしてみせる……というのがクシフの予想だったが、今回は少しその上だった。
「いや〜んっビビィったら!
そんな格好で乙女の寝起きに何する気ぃ?」
胸焼けするような猫なで声。しかし自分たちは慣れたものだ。逆にこの声を聞かないと落ち着かないという症状さえ出ていた。
「夜這いっ? 朝這いっ?
とにかくもう貞操の危機ねぇぇぇえ!
飢えた男二人の毒牙についに私もぉ……
って、ねぇクシフ!」
ヴァネットサミスがビッターラビィを跳ねのけてやってくる。
「どーして襲わないのっ! こんな美人ちゃんがこんなカッコしてベッドまであるのにぃ」
上のボタン二つが外れた寝間着の間から見える素肌を指し、ヴァネットサミスはぎゃあぎゃあと騒ぐ。
きっとクシフたちの気配に気づいて仕込んだのであろう。
その仕込みから見える肌は、残念ながら立体感に乏しい。
「……無理だ」
クシフは顔を赤らめて目をそらす。
「ははは、いいな、やっぱり朝はこうでないとな!
――偉大なる子狸ポルラガマヌヌはかく語りき。特上の美女は憧れを抱いたまま黙って眺めているのがいい。牙にかけてしまえば噛む度に味が薄くなる。ってな」
ビッターラビィがいつものでたらめな哲学を一発。それにしてもどうして子狸が美女を語るのか……クシフは疑問で仕方ない。
さて、ヴァネットサミスはというと、特上の美女に気を良くしたらしい。
寝間着のまま軽やかに部屋を出て行ってしまった。
騒がしい華が去って静かになるかと思いきや、そうではない。
「ヴァネットサミスはババジャロの丘にある大樹に似てるな。太陽に喜び風に歌い、そして枝々に世界中の鳥が集まってお祭り騒ぎ!
ああ、この場合俺とお前はどっちが太陽でどっちが風だろうか?
俺は太陽のように輝く男だが風のように爽やかでもある。お前は太陽のように無口だが風のようにも無口だ」
「……どっちでもない。お前は口で、俺は目だ」
「なるほど。太陽にも風にも目や口はないからな。いや待てよ、風には台風の目がある! 太陽も考えようによっては空の目かっ。
するとどっちもお前だな、じゃあ俺はなんなんだっ?」
頭を抱えてぐるぐると部屋の中を徘徊し始めたビッターラビィ。
彼が哲学の落とし穴に落ちると長いので、クシフは先に部屋を出た。
そして廊下の奥の部屋から出てくるエレを見つける。
今は使われなくなったその部屋は、ヴァネットサミスの両親の部屋だった。
「やあ、おはよう。にぎやかだね」
片手を上げて爽やかさを振りまく彼。まだ早い時間なのに、身なりはすでに整っていた。
自分の寝癖を思い出し、クシフは頭に手をやる。
「ああ、その……ずいぶん早いな」
「お世話になってる身としては、いつまでも寝てられないよ。何か手伝えることはあるかい?
薪割りでも何でもするよ」
「薪割りは、ビビィがやった。……そう、だな、ヴァネッサの手伝いでもしてくれ。
朝食、作ってるだろうから」
しどろもどろに言ってからクシフは後悔する。
「そっか、了解」
長い足を動かしてエレは階段を下りていった。
廊下に残されたクシフは大きなため息を吐いて、そして頭をかかえてしゃがみこむ。
……俺はバカか。
朝の仕事といったら水くみもあったのに、わざわざ自分からエレをヴァネットサミスのそばへとやってしまった。
きっとヴァネットサミスはいまだ寝間着で、そして……。
頼むからボタンだけは閉めててくれ!
朝の儀式用に仕込まれた誘惑の罠を思い出し、切にそう願う。
ここまであれこれと考えるくらいなら自分も料理の手伝いをすればいい。
だが、必要な水くみもせず上手に二人のそばをうろうろする方法が、クシフには分からなかった。
結局自分の部屋に戻り、着替えて、桶を持って外に出た。
――それからいくらか時間が過ぎ、朝食を食べた後。
「まだ行かないで」と騒ぐヴァネットサミスを笑顔でなだめて、エレは行ってしまった。
あれだけクシフの心を引っ掻き回しておいて、ずいぶんとあっさりした別れだった。
クシフには昨夜の疑問が残ったままだったが、とりあえずはほっとした。
そしてそのすぐ後に、ビッターラビィも家を出た。
仕事ではない。一年に一度、今日であるが故の特別な外出なのだと、クシフは思っていた。
だから昼になっても彼が戻らないのを、さして気にもしない。




