第7話 来客と、五年前の記憶 2
壁に吊るされた照明具に火が灯されていた。
店の一番大きなテーブルには普段見ないような料理まで並べられ、今日がヴァネットサミスにとって良い日なのだということを語っていた。
そのテーブルの一角にクシフは座り、本を読む。
正面にはビッターラビィが腰かけていて、いつものように口を動かしていた。
今はエレにではなく、自分に。
クシフが何かしながら彼の話を聞く、そんな日常がやっと帰ってきたようで、ページをめくるクシフの指は穏やかだった。
「その本、面白いだろ?」
適当ででたらめな話の途中で、ビッターラビィが問いかけてくる。
今読んでいる本は彼がババジャロから買ってきてくれたものだった。白粉や口紅などの製法が実に細かに記載されている。
八割方はクシフもすでに知るものだったが、中には目を見張るものもあった。
「ああ、面白いな」
……そうか、あそこでまた油を加えると発色が良くなるのか。
返事をしたが、とある口紅の製法を見て目が本に戻る。
「それな、偉大なる子狸ポルラガマヌヌの本なんだ」
眼鏡の奥からにやりと言われた言葉に驚く。
すぐさまひっくり返して表紙を見ると、確かにポルラガマヌヌと書いてあった。
「前から思ってたが、なんで狸が本を書く。
なんで狸がこんなに化粧に詳しいんだ」
「そりゃ、偉大だからだろ。
偉大なる子狸ポルラガマヌヌはかく語りき。常識は常に頭の隅にだけ置いておけ、そして陽が沈む度に書き換えろ。ってな。
まず今日クシフの常識は二つ書き換えられた。狸だって本を書く、狸だって化粧を知ってる」
ああそうか、きっと知識の多い作者が狸になりきって書いているのだ。そんな答えをクシフは出す。
「クシフは化粧師なんだって?
女の子にずいぶんモテるんじゃないか?」
背後から深皿を手にしたエレがやってくる。
四人の座る位置に丁寧に並べて、お前の方がモテるだろうと言いたくなる顔を見せた。
「クシフは無口だからなぁ。化粧をされる女の方が熱い目をしてても、こいつは化粧のことしか語らない。
んなもんで、化粧が終わる頃には女の熱が冷める。これの繰り返しさ。まあ腕はいいからな、客は多いぞ」
「俺の仕事は死人相手が多い」
知り合ったってすでに死んでいるのだ。
その上クシフの気持ちは幼い頃からヴァネットサミスに向いているのだから、どんな女と知り合おうが関係なかった。
この突然やってきたこの男一人の方が大問題。
「死人の化粧、ね。生きている人にするのと、何か違うことでもするのかい?」
「聞いて驚くなよ? クシフには死人の魂が見えるんだっ。
化粧をした体と魂とを向き合わせて、納得させて天へと送る。親父さんから継いだ立派な仕事なんだぜ」
ビッターラビィがまるで自分事のように鼻を高くした。
子供の頃はあまり好きではなかったこの仕事を、クシフも今は誇りに思える程になっている。それはある種の成長だ。
「親父さんから、継いだ……」
エレが言葉を漏らす。
魂を見ることができるという常人離れした話よりも、何故かそちらの方に気がとられているようだった。
彼は目を閉じ、祈りにも似た時間を漂わせる。
その間はさすがのビッターラビィも口を挟めないでいた。
どれ程そうしていたことだろう。
「んもぅ、ビビィもクシフもただ食べようとするだけなんだからぁ。エレさんはちゃんと手伝ってくれたんだからねっ!
ほら見て! 美味しそうなスープでしょ!
エレさんの国のなんだってぇ」
湯気で香る鍋を持ってきたヴァネットサミス。
男三人は仲良く同時に彼女を見つめた。
「いや〜ん、そんな熱い視線送られるとぉ、私溶けちゃうんだからっ」
馬鹿なことを言いながら、深皿にスープを注いでいく。
エレが何故父のことを気にしていたのか、クシフは訪ねたかった。
けれどもヴァネットサミスがエレを座らせ「いただきまーす」と夕食の始まりを宣言したものだから、タイミングを逃してしまう。
自分が作った料理のことをあれこれと自慢し、誰かが一口食べるごとに美味しいかどうかを問いただしてくるヴァネットサミス。
そしてその味についていちいち狸の話をつけて評価をするビッターラビィの間に割り込む術を、クシフは持っていなかった。
そして話はどんどん流れ、気づいた頃にはエレの身の上話となっていた。
「十四、五の頃からかな、師匠について旅をしていたんだ」
パンをちぎり、端をスープに浸して、エレは言う。
なんの師匠であって、なんの旅なのかは、具体的に語らない。剣術修行の旅か何かだろうとクシフは目星をつけ、おそらく二人も同じことを考えた。
だからビッターラビィが「その師匠は今は一緒に旅をしていないのか」と別の質問をする。
「五年前にね、死んじゃったんだ。もう年だったから」
エレの表情が変わる。
思い出し悲しんでいるというよりは、どこか申し訳なさそうな顔だった。
それも、クシフら三人に向けて。
父のことを気にして目を閉じた彼と、五年前という単語、そしてこの表情が、どうしてか手を取り合ったような気がした。
それがなんの繋がりであるか確かめたくて、クシフは口を開く。
だが、どう聞こうかと迷ったすえの言葉は、こんなもの。
「ヤジョヌズへは……何をしに?」
「探し物さ、世界一美味いリンゴ」
告げたれた言葉にビッターラビィが何かを言いたそうな口を開き、そして閉じた。
彼が言葉を口の中にしまいこむなど、一体どうしたというのか。
「そういえばさ、皆は魔女に会ったことがあるかな」
突如出た無関係の言葉。
「ここからずっと南に行った砂漠の向こうに、本当にいるんだよ」
不思議な旅の思い出を語ろうとするエレに、ヴァネットサミスは食事の手を休めて瞳を向ける。
ビッターラビィはいまだ何か含んだ顔をしながら、それでも適当な合いの手を入れて話を膨らませる役をかっていた。
いくつかの疑問が風船のようにふわふわ浮いたまま、そしてその風船たちから垂れた糸はどこで一つに結ばれているのか。
そんな落ち着かないクシフの思考に被せられる魔女の話は、それこそ下手くそな魔法だった。
エレが言葉を続けるごとに風船を隠そうとする力が働くが、ことごとく失敗してより風船が目立つ。
エレが魔女の魔法でひと時だけ女の子になってしまった、という話が語られた時。
風船の糸がリンゴの木の枝に結ばれているのを、クシフは脳裏に見た。
……………………………………………………
彼は暗い景色の中、忌々しげに、自らの上に開いた小さな穴を見上げていた。
彼の腕が一本通る程度の穴。
さっきまでその穴からは、彼の世界にはない「光」をこぼしていたのに、今はもうない。
あちらの世界に、どうやら夜というものが訪れたようだ。
穴の周囲には土。
木の根が張り巡らされ、硬い。
土と木の根の交わりは、彼を始めとするこちらの世界の住人を拒む大きな力を持っていた。
そして再生の力をも含んでいる。
彼が精一杯の努力で開けた小さな穴でさえ、徐々にではあるが縮まる動きを見せていた。
疲れて休みたいのに、それもままならない。
このままではせっかくの努力が水の泡。
「なんかヨぉ、つっカエ棒? ソーゆーのナいのかってンだ」
彼は穴に腕を差し込み、穴が塞がるのを防ぎながら、辺りに目をやる。
けれども暗いだけで殺伐とした彼の世界には、そのような物が見当たらない。
今回はダメか、そう心が挫けそうになった時。
頼りなくはあるがつっかえ棒が出現した。
彼の足元にちろちろと寄ってきた、低俗で下等な者たち。
少しでも気を抜けば周囲の黒に溶けてしまう程の朧な形だけを持っており、薄黒い煙のようでもあって、薄黒い水のようでもあった。
もちろんたいした思考能力も持ち合わせてはいない。
そんな存在たちを見下ろしながら、彼の口角が上がる。
瞬時に穴から腕を引き、そして両手で下等な者たちをすくい上げた。
幸運にも彼の手から逃れた者は四散して暗がりに消えていく。
彼の手の中の者たちは、微かな叫びを上げて蠢いている。
彼はそれらを穴へと詰めこんだ。
一つの隙間なくパズルゲームの気分で行なっていき、そうして穴は塞がった。
土の茶色ではなく、薄い黒で。
それでも土は再生を行うらしく、端に詰められた者が滑稽で気に触る悲鳴を発した。
これで、穴の塞がるスピードは遅くなる。
詰めらた者たちは土に身を裂かれるが、そんなこと彼の意に止まることではなかった。
とりあえずは休憩できる、それが今は大事なのだ。
「アん時モット食っとケば、こンナにちんたラするコトも、なカッたんダケどヨお」
飢えを盛んに訴えてくる腹をさすりながら、彼は大きな独り言をする。
あん時、というのはそう、確か五年前だ。
彼は座り、体と魂と力を休ませながら、思い出にふける。
読んでいただいてありがとうございます。
この作品はカクヨム様でも掲載してます。
そちらでは完結しております。
こちらでも毎日投稿予定なので、今後ともよろしくお願いします。




